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「はじめて」の話。

世間話
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私の体の詳しいことは省略します。病気については過去に書いているのでこちらを。

今日はタイトルの通り「はじめて」ということについて、書いていきたいと思います。



突然ですが、まず〘ジョゼと虎と魚たち〙という大好きな映画の話からさせてください。

この映画の主人公ジョゼは、先天的に下半身に麻痺があり歩くことのできない女の子です。
一緒に住んでいるおばあさんは「世間体が悪い」という理由で足の不自由なジョゼを隠すように暮らしており、社会との関りがほとんど無いような生活をしています。

その生活のせいで、おそらく普通の子なら経験していることを経験できずに大きくなったジョゼの精神年齢はすごく幼い。だけど変に冷静で大人びて達観した部分もあって、そのアンバランスさをまとった、一般的に見るとだいぶ変わった女の子です。(映画の中では池脇千鶴さんが演じており、本当に見事でした。)



細かな流れはすっ飛ばしますが、物語の中でジョゼは、恒夫つねおという男の子と2人でに行きます。
ジョゼが遠出をするのは生まれて初めてで、何日も前から綿密な計画を立て、大事そうに持ってきた荷物の中には水筒に入ったお茶やみかんなど、くすっと笑ってしまうようなものが詰まっていました。(ジョゼのかわいらしさと無知さの混ざったいいシーン)
車から降りて、恒夫におぶってもらったまま砂浜に出たジョゼは、生まれて初めて本物の海に来て「こんなきれいな景色初めてや」と言います。
恒夫は「僕もだ」と返しますが、それに対してジョゼは「あんたのはじめてと、アタイのはじめては質がちがう。」と言います。

最初に映画を見たとき、これ、めちゃくちゃわかる。と思ったんです。





私は幼いころから入院生活が長く、小さい時は日常のもっともっと色々なことを制限されていたので、学校に通うようになったばかりの頃は周りの子供たちに比べて知らない(経験したことがない)ことだらけでした。


そのうち成長とともに体が丈夫になってきて、年相応の友達と遊べるようになると、私はこの歳になってやっとできるようになったけど、みんなにとってはこれが小さい時からの日常だったのか。などとびっくりすることが何度もありました。

その頃には少しだけ空気も読めるようになっていたので、変な子だと思われたくなくて誰にも話したことは無いけど

「初めて食べたー」とか「初めて見たー」とか言う周りに混ざってわいわい言いながらも、頭の片隅ではみんなと私は同じ初めてではないのだ。と思っていました。




「あんたのはじめてと、アタイのはじめては質がちがう。」


わかるよジョゼ。私にはわかる。


私が病院の中で過ごしているとき、友達は当たり前に幼稚園に通いながらスイミングや体操教室に行っていて、やっと歩けるようになった私が「昨日は何メートル泳げた」なんて話題に混ざれるわけがないし
半日外の風を浴びただけで熱を出してしまう私が、週末はテーマパークやキャンプに行き、楽しそうに校庭で走り回る子たちとどんな遊びをすればいいのか分からない。
仲間に入れてもらうのは容易なことではなく、自由時間は図書室に勝手に忍び込んで隠れるように本を読んでいる方が楽でした。まるで映画の中で、ジョゼが押し入れの中で隠れて本を読んでいるみたいに。


私のはじめてと、みんなのはじめては質が違うのだ。


だからと言ってそれが偉いわけでもないし、誰かにまさっているとか、ましてや不幸自慢とか、そんなことを言いたいわけではありません。





今の年齢になって、例えばおいしいリンゴをふたりで食べたとして「こんなにおいしいリンゴは初めて食べた」という人と「リンゴという果物を生まれて初めて食べて、おいしいと知った」という人が居たとして、それぞれのはじめての種類は違うけど、おいしい」という瞬間を共有できたことが重要なんだと思うようになりました。

きっと映画の中の恒夫は、何度も海を見ていても、歩けない女の子をおぶって海を見たのは初めてだっただろうと思います。

それでも私がジョゼと同じ立場なら、やっぱり「あんたのはじめてと、アタイのはじめては質がちがう。」と感じると思いますけど。



時々この映画を見返しては、誰にも言ったことのないような自分の中にあるいろんな気持ちを思い出しながら、私にはわかるよ。と、心の中でジョゼに話しかける。


おしまい。

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