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心疾患と恋愛の話(病気というフィルターについて)

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※昨日更新した《心疾患と恋愛の話(私の経験~)》の続きのような、続いてないような話です。
 でも別にそっち読まなくても問題はなし。


私は先日、こんなツイートをしました。

身体は傷跡だらけで子供も産めない、日常生活も制限だらけで、先に死ぬかもしれない。 「私なんか…」精神で結婚も恋愛も逃げ腰になっていましたが
自己肯定感が回復したせいで 「病気のフィルターにびびって私の面白さに気付けない人なら要らない」という攻めの姿勢で恋愛はさらに遠ざかっている。


この、病気というフィルターにびびってんじゃねー。
という気持ちは、自分に向けてでもあります。




もっともっと若い時には、私みたいなもんに恋人なんて出来るのだろうか。私なんかを好きになってくれる人なんか現れるのだろうか。と思う時期があったけど
社会に出てみたら、五体満足の健康体の人でも大切なものが欠落している大人が沢山いるし、先天性疾患で自分より多くのハンデを抱えた人でもモテまくっていたりする。(人として魅力的という意味)

そもそもなんで選ばれるのを待ってなきゃいけないんだ。




私はこれが出来ないから申し訳ない。これも出来ないからあの人より劣っている。と、どうしても感じるときはあります。
でも決してそれによって、誰かと恋愛をする資格すら制限されるわけではない。


なに当たり前のことを話してるんだ。と思うかもしれないけど
自己肯定感ど底辺だった頃は、それを当たり前だとは気付けませんでした。

これまた、何でもかんでも人のせいにしちゃいけないんだけど
小さい頃に刷り込まれた「お前なんか」「あんな病気の子」という呪いは、なかなか解けるものじゃなくて
自分を認めてくれる人に必要以上に依存してしまったり、相手にとっては大した重さの無い言葉に深く傷ついたりしてしまう。


大人になって分かったことは、私が見てきた(育ってきた)世界は本当に狭かった。
「持病がある」ことだけで様々なものを判断していたのは、誰よりも私自身だったんだと思います。



昨年の手術の後、もちろん身体はめちゃめちゃに辛かったけど、何をしても楽しい術後ハイのような状態になって、自分でも拍子抜けしてしまうくらい自己肯定感が回復しました。
1年間かけて、自分の身体のことを勉強し、考え、向き合ったからかなあと思っています。
それから年齢を重ねたことで、みんなと同じことへの憧れ執着が減ってきた。


自分の努力ではどうにもできない持病による日常生活の制限は、この先もっと増えていくでしょう。 だからと言ってそれが、私が何かを楽しいと感じたり、好きだと感じたりすることまで奪うわけではない。


もっと早く気付けていたら、生きることがもう少し楽だったかもしれません。



ただ、どんなに考え方が変わっても、私そのものが変わるわけではないから
世間体とか妊娠の問題が無くなるわけではありません。
だからそれを知って態度が変わるような人なら、私には要らない。

そして大事なことは、考え方が変わっただけで、ある日突然私というものの魅力が増したわけではないということ。せっかく胸骨開いて延ばした人生だから、人間的にもっとしっかり成長していかねばならない。未熟でしたで済まない年齢になったのだから。


必要なものと人を、もっと丁寧に、大切にして
そうじゃないなら、私の足枷になるようなものなら、はっきりと要らないと言える
そういうひとに、わたしはなりたい。


暴露療法のような文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。


おしまい。

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