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何でも一人でやりたい話

世間話
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何でも一人でやりたい。
成長途中の小さなお子様の話ではなくて、30代の私の話です。


地元に居た頃は、なかなかのお姉さんの年齢になっても小児科に通い、年に1度くらいの通院だったので母親も付き添ってくれていました。手術当時の専門的な記憶は全くないし、メモのひとつでも持参して真剣に話を聞くような真面目な患者ではなかったので(小児科の医師とは馬が合わなかったし)、幼児期の手術についてや体の様子は自分よりも母の方が詳しかったこともあり、難しい話は母に任せてしまっていました。


私はいま、地方の実家を出て都内で仕事をし、都内の病院に通院しています。
幼い頃に手術を受けた病院からカルテや手術記録も全て今のかかりつけ病院に取り寄せたし、自分の病気についても勉強して、親より詳しくなりました。
それでもカテーテルの検査や手術の説明のたびに「ご両親と一緒に(病院に)来られませんか」と言われます。私にはそれがすごく不満でした。
両親と仲が悪いわけではなく、通院の状況や治療方針などは逐一私から報告していたし、 地方からこちらに来るためにいちいち仕事の休みを取らせたり、安くはない交通費を使わせるのも申し訳ない。というのも理由のひとつで、担当医はその気持ちを理解してくれて「親も同じ考えです」で何とか逃れてきていましたが、手術への同意書のサイン執刀医との顔合わせなどはどうにも逃れようがなく、手術前はさすがに親同伴で病院に行かざるを得ませんでした

私はもう成人していて、自分の意思を自分の言葉で伝えることが出来るし、仕事もしていて、通院にかかる費用も薬代も全部自分で賄えている。なのに、なんでいちいち親の承諾が必要なんだ。私が納得して「やってくれ」とお願いしているのに、どうして親の承諾が無いと、検査も手術も話を進めてもらえないんだろう。この身体の持ち主は私で、切られるのも刺されるのも私なのに。そう思ってプンプンしていました。
自分ひとりでの決定権がないことはまるで、私が不完全な人間だと言われているみたいで悔しかったのです。

しかし、私が独身だから親の承諾が必要なのであって、結婚していたらこれが配偶者の承諾になるのかもしれません。高齢であれば、成人した自身の子どもである場合もあるでしょう。何にせよ、承諾書に本人だけのサインで進む話はなく、手術の説明を聞くために家族同伴で病院を訪れているのは、私だけではありませんでした。


病気の治療は何が起こるか分かりません。本人の意識の無い状態で、この先の治療内容を選択しなければいけない状況になる可能性もあります。その場合に親や配偶者が治療方針を理解して、同意していなければ、どんなに私が納得していたとしても、万が一の場合に病院が訴えられてしまうかもしれない。だから本人以外の承諾が必要で、言った言わないの話にならないようにという意味合いもあって治療方針の説明には家族の同伴が必要なんだと教わり、私はあっという間に納得しました。


私がひとりでやりたい(自分に決定権が欲しい)とこだわるのは、そうすることで私は自分が不完全な人間ではない(一人前である)ことを証明したいんだと思います。
誰に?と聞かれれば、自分に。
親元を離れて生活したって、治療にかかる費用を自分の稼ぎで賄ったって、とっくに死んでしまった頭の固い親戚のじじばばたちに認められたとしたって、私の心臓の形が変わるわけではない。私は何も変わらないのに。


この、私の苛立ちとももどかしさとも言える感情が伝わったのかどうかは分からないけど、手術の前に担当医から
「貴方の体だけど、貴方だけの体ではないからね。」
と言われたことがあります。妊婦でもないのに「貴方だけの体じゃない」って言われることあるんだなぁとへらへら聞いていましたが、この台詞、手術が終わった今ならずっしりと理解できます。
私がいまひとりで生活できるのは、原点は産んで育ててくれた親がいるからだし、その後は何人も頭のいい先生が集まって、調べたり話し合ったり考えたりして治療を続けてくれているからで、私が出来る限り良い状態で長く生きられることを望んでいるのは、私本人だけではない。
もしも、自分ひとりに治療方針の決定権が与えられたとしても、これは変わらないことです。


日常生活においても同じようなことは感じていて
私は誰かに何かをお願いしたり、手伝ってもらったりすることが苦手です。
出来るだけひとりでやりたい。そうじゃないと、甘えてるみたいだから。誰に、何をかは分からないけど。少し時間をかければ出来ることなら、少し無理をすれば出来ることなら、わざわざ誰かに助けてもらう必要は無いと思ってしまう。きっと、見栄もあるし、無理しても出来ないことが沢山あるからこそ、これならまだ一人で出来るんだと思いたいんだと思う。


「えふちゃんはよく、(身体のことで頼み事したり休みが多かったり)申し訳ないって言うけどさー、みんな勝手にやってんだから放って置いたらよくない?なんか、本当の気持ちなんか本人にしかわかんないけど、みんなやりたくてやってんだから、やらせときゃいいんだよ。」

これは、職場のスタッフに言われたことです。
べろべろに酔ってたから(笑)本人は覚えてないかもしれないけど、私の中の憑き物がひとつ、すっと落ちた気がしました。


私の「何でもひとりでやりたい」気持ちは、まるで幼児期に、ボタンの留め方も分からないのに、ひとりでパジャマに着替えるんだと癇癪を起していたのと同じようなことなのかもしれません。


私だって誰かの手伝いをするときは、やりたくてやってる。役に立てて嬉しい時だってあるし。何でもひとりで出来ることが、大人ではないんですね。
これからきっと(すぐにではないけど)、心不全が進行したら出来ることは少しずつ減っていくんでしょう。
でも出来るようになることも、増えるかもしれません。
いつか、ちゃんと、大人になりたいなあ、と思った、31歳の夜でした。

私も、あなたも、ひとりの体ではないから。



今日は、ここまで。

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