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《子どもが教えてくれたこと》という映画の話

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私にいろいろな気付きをくれた映画についてのお話しです。

主人公はアンブル、カミーユ、イマド、シャルル、テュデュアルの5人の子どもたち。彼らに共通するのは、みな病気を患っているということ。

http://kodomo-oshiete.com/

《子どもが教えてくれたこと》というフランスの映画を知っていますか。
生活している場所も、性別も年齢もバラバラな5人の子ども達(5~9歳)の日常を切り取った、ドキュメンタリー映画です。
5人はそれぞれ、動脈性肺高血圧症骨髄の神経芽腫胸腔内の神経芽腫腎不全(腹膜透析)表皮水疱症、という病と共に生きています。

日本では2018年に公開されました。
その頃の私は、ちょうど持病の手術適応の話をされたところで、この先どうすればいいか分からなくなっていて、闇雲に情報をかき集めていました。
そんな時この映画の上演情報をTwitterか何かで偶然知って、『病気を患っているこども』がどんな風に暮らしているのか。そして、外側からどう見えるのかに興味を持ちました。

私は夏の暑い日に道に迷いながら、初めて行く小さな(でも雰囲気の良い)映画館で観ました。
座席は思ったより埋まっていて、大人が多かった。私も大人ですが、それでも若いほうだったと思います。
みんなはどんな気持ちで、何に興味を持ってこの映画を見に来ていたんだろう。

この子たちは、病気を持っていますから、その人生を写しとれば、必ず治療シーンは入ってきます。でも、病気がテーマではありません。

http://cineref.com/report/2018/07/post-291.html

これは監督のインタビューから抜粋した一文ですが
その時は、この「病気がテーマではありません」という本当の意味が分かっていませんでした。
私自身が「病気を持った子どもたちのドキュメンタリーだから見たい」と感じてこの映画を選んだから。

だけど見終わって分かったのは、アンブルという女の子の人生を切り取ったら必要な薬剤を持ち運ぶ瞬間だって映るし、イマドという少年に密着したら透析の時間だってあるというだけのこと。監督の言葉通り、 病気をテーマにしたわけではなく、子どもたちの日常が淡々と映されているんだいうことでした。


いつの時代でも、どこの国の親も、子どもに抱く感情は同じようなもので、同じような言葉をかけるんだなぁと思ったり、治療のシーンでは思わず息を止めてしまうくらい苦しさを共感したり
だけど画面の中の子どもたちは、私なんかよりもはるかに自分の病気について理解していました。


彼ら、彼女らの、言葉眼差しを、どう表現したらいいのか分かりません。
大人びているというのか、達観しているというのか、落ち着いているというのか、その全部であってどれでもないような。
それは子供時代特有のものなのかもしれないし、病気を持っていることに関係しているのかも知れません。
そう考えていると、自分が昔から大人に「達観している」とか「悟っているようだ」と言われることがあったことを思い出しました。「見透かされているようでこわい」と言う人も居ました。
だいたいそういう時って私は何も考えてないかお腹が空いているだけで、私が心臓病の子だって知っているから、みんな何か特別な意味を持たせようとして勝手に何かを感じ取っているんだと思っていました。もしかしたら私が画面の中の子どもたちに感じた気持ちも、それかもしれません。


答え合わせをすることは出来ないけど
とにかくみんな可愛くて、魅力的だった。


私の中に、大きな気付きと、自分の病気に改めて向き合うきっかけをくれた映画です。




__監督のお嬢さんの死がきっかけで、撮影を始められたということでしょうか?

違います。亡くなったということよりも“生きていた私の娘”が、こういう作品をつくるきっかけになりました。

http://cineref.com/report/2018/07/post-291.html

※現在劇場上映はされていませんが、DVDとBlu-rayが発売されています。
 それから動画配信サービスのU-NEXTで見られるみたいです。



もう一度劇場で見たいな。
みんな、どんなことを感じるんでしょうか。

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