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心疾患と恋愛の話(私の経験の範囲で)

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人それぞれに性格が違えば、好きなタイプも違う。
共感だったり「私は違うけど」だったり、何だか知らないけどコイバナって楽しかった。
でも、自分の病気のことを話すときどうだったかとか、体の傷を見せるときどうだったかとか、そんな経験はなかなか聞けなくて
当然話しても共感されることなんてないし、病気が足枷になって恋愛に踏み込めない時期もありました。みんながどうしてるのか聞きたかったけど、教えてもらえる場を見付けられないままに30歳も過ぎてしまったので、それなら逆に私の経験を少し話そうと思います。
成功例でも誰かへのアドバイスでもない、先天性心疾患の女の子のコイバナのひとつとして。

初めて付き合った人

中学生になると体が安定してきて、急に具合が悪くなることも減り、体育の制限も緩くなって、周りにとって私は傷さえ見えなければ少し体の弱い子、運動の苦手な子くらいの認識だったと思います。

初めて彼氏と呼べる人が出来たのは高校1年生の時でした。
同じ中学で、3年生の時同じクラスになって仲良くなって、ずっと好きだった人でした。
お付き合いをするというのが何だかは分かってなかったのですが、両思いだということが嬉しくてただただ浮かれていました。同じクラスだった時に、参加できない学校行事があったり、持病があることは何となく知ってくれていたと思います。でも彼氏となると、改めて詳しく話しておいた方が良いかなと思って、でもなんか直接は言いづらくて、私は電話で話すことにしました。
生まれたときから心臓が悪くて小さい時に手術をしたこと、激しい運動が出来ないこと。学校に通うとか、いま日常生活で困っていることはあまりないこと。それくらいだったと思います。


「死なないでね。」



彼からの言葉は、最初は本当に何を言ってるか分かりませんでした。
私はこれから戦場に行きます。なんて話した覚えはない。いつかは死ぬよ。人間だもの。
でも電話を切ってしばらくしてから、彼の中では〖病気=死んでしまう 〗だったのかと分かり、何とも言えない気持ちになってしまいました。
私の中では持病があることが当たり前で、周りの幼馴染たちもあまりにも自然に受け入れていてくれたから、今までちゃんと意識したことがなくて、病気というものに馴染みがない人が聞いたらどんなことを想像するのか分からなかったし、自分でも上手に説明できるほどの理解をしてなかったんだと思います。
そんなにすぐには死なない。手術したからって完治したわけじゃないけど、日常生活の制限さえ守ればみんなと同じように学校にも行けるし、大丈夫。後日改めてそんな説明をしました。
病気の話をしたからなのか、彼のもともとの性格上なのか分からないけど、何をするにもそれはそれは心配されました。大切にしてもらったと言えば聞こえがいいかもしれません。
すごく優しい人だったから、彼なりに理解しようと思ってくれたんだと思います。でも心配されればされるほど、私は病気なんだということを突き付けられている気がして、どんどん窮屈になっていきました。やっと周りのみんなと同じような生活が出来るようになった時期だったからこそ、過剰に特別扱いされたくなかった。
あんなに片思いしていた人だったのに、私から「別れてほしい」と告げました。



これは大人になってから聞いた話ですが、彼が大学生の頃、同期で先天性心疾患の子が居たそうです。病名や症状までは分かりません。仲良くしていたけど、その子は持病が原因で在学中に亡くなってしまい、その子の影響もあって、現在は医療用酸素の営業や販売をする会社で働いているそうです。

彼にとっては私が、人生で初めて出会った先天性疾患の子だから、何か力になりたいけど何をどうしていいか分からなかったんだと思います。私にも、彼の素直な思いやりを受け止める器がなかった。
いまもしも、初めましての状態で出会えるとしたら、きっと私はまた好きになるかもしれない、なんて。これを書きながら思いました。

初めて結婚を考えた人


これは20代の話。
その彼との出会いは、ひと回り以上年上の友人からの「ええ子やねん。あたしがもっと若かったらいってたわぁ(笑)やから、えふちゃんに薦めたくて!」という紹介でした。

実は紹介されてすぐ、私は彼に興味を持ちました。でも「病気のことを話したら態度が変わるかもしれない」という気持ちがあったから、それ以上のことを望まないように距離を取る癖がついていました。彼は、些細なことによく気が付く人でした。腕に微かに残っている子供の頃の点滴跡や、私が絶対に鎖骨の見える襟の服を着ないことなど。その都度のらりくらりと誤魔化しながらも、嫌味なく聞いてくる距離感に感心していました。
しばらくグループで遊びに行くような関係が続いて、2人で食事に行くようになって、話の流れは覚えていないけど、覚えてないくらい自然に持病のことを話してしまいます。しかもそのついでにさらりと手術の傷まで見せてしまった。と言っても色っぽい話ではなくて、シャツの第一ボタン外したら見える部分だけ。「ここから始まってて、真っ直ぐおへその辺りまであるよ」みたいな。
こういう傷の見せ方は男女問わず友達には何度かしたことがあったけど、 彼のリアクションは、私が今まで打ち明けてきた誰とも違ってとても新鮮でした。
これはまた別の記事で詳しく話したいのですが、私は自分の手術跡がとても嫌いでした。
それでも彼は「生まれつきの病気や、手術を経験したことで今のえふちゃんの人格が作られてきたんでしょ。だから俺はその傷が好き」 だと言ってくれました。



そしてお付き合いをするようになって、私の世界ががらりと変わります。



私は、人と一緒に歩くことが苦手でした。相手が自分のペースに合わせているのが分かると申し訳なくて。すぐに息が上がってしまうことを心配されたくなくて。そして、みんなはこの程度では息が上がらないことに気付くのも寂しくて。
でも彼と歩くときはそのどれも気にならなくて、いろいろな場所に出かけることができました。
広い公園を、話をしながら、歩く。それがこんなに楽しいことだと知らなかった。
彼は「そんなことで喜んでもらえるのか」と笑っていました。

彼はスポーツが得意で背も高く、体が丈夫でした。一緒に過ごす時間が長くなると、重いものが持てないとか歩くのが遅いとか、改めて自分の出来ないことの多さに劣等感を抱くようになって
同じくらい健康な子と付き合った方がもっといろいろなことが出来るのに、彼に我慢ばかりさせているんじゃないだろうか。と心配になってきます。

そんな私に彼は
「(俺が持てばいいから)えふちゃんはこの先もう重いものを持つ必要がない。俺がえふちゃんのペースで生きればいいだけだから、一緒に歩くときは早さを気にする必要なんてないし、出来ないんじゃなくて、そうする必要がなくなる。一緒に生活するってことは、そういうことじゃない?」
と言ってくれました。
『出来ないんじゃなくて、する必要がないって考えて』
その言葉は、天地がひっくり返るような衝撃でした。ほんと大袈裟じゃなく。


この人と結婚したいと、するんだと思っていました。彼は家庭を持つこと、子どもを持つことを望んでいて、私は生まれて初めて「この人との子どもを持ちたい」と思いました。当時の私の心臓でも妊娠に耐えられるか危うかったと思うけど、それはとても本能的というか、動物的な感覚でした。「この人なら自分が死んでも、安心して子どもを任せることが出来る」と。まだ産んだこともないくせに。


彼と一緒に居られたら、私は大丈夫。もう無理して強くある必要もないし、頼りたいときに頼っていい。甘えたいだけ甘えてもいい。だんだんとそれが依存になっていったことにも気付けませんでした。
例えるなら、私はゆっくりだけど自分の足で歩くことが出来る。にもかかわらず、甘えさせてくれる存在に味をしめ、おんぶして目的地まで連れていけと言い出します。
そして彼も、私を支えていくことによって彼の中にあった劣等感というか、欠落したものを補正することが出来たから、「貴方は自分で歩けるでしょ」と諭すことが出来なかった。 自分が「無理をしている」のだと本人でも気付けないくらいに、 彼もまた私に依存していました
(彼が私に好意を持ったのは、私が病気だったという理由だけではないけど)

そんなに長い期間を要せず、その関係は破綻してしまいます。

言われるままにおんぶしてみたけどやっぱり途中で疲れて降ろしてしまった。という、そんなような流れで、私はフラれてしまいました。

今だからこんなに冷静に振り返ることが出来ますが、人生で最大の失恋でした。

この失敗は、持病があるとか恋愛経験の乏しさだけじゃなく、人間としての未熟さが原因だったと思っています。
相手を頼ることは、遠慮をしなくなることではないし、相手の甘えを受け入れることと依存を許すことは違う。それも全部、今だから客観的に見られることなんですけど。


今でも彼からの言葉のいくつもが、良いものも悪いものも私の人生にとても影響しているので、かけがえのない時間だったなと本当に感謝しています。
彼にとっても、一緒に共有していた時間がその後の人生に役立っていることを切に願います。





もちろんこれはブログなので、他人に聞かせられる形に整えてぎゅっとまとめてあります。


持病なんて関係なく嘘つくことも嘘つかれたこともあるし、持病のせいで生じる性の問題だってあるし、二人だけじゃなく周りの人間が関わってくることもある。結婚となると話はもっと簡単なものではないでしょう。

ただ、私なんかを好きになってくれる人が居るんだろうかとうじうじしていた思春期少し前の自分に、一言「いるよ!」と伝えたい。


本当は、こんな経験をして、このように危機を乗り越え、生涯のパートナーとなる人に巡り合いました!という話が書きたかったけど(笑)
でもまあ始めに言ったように、これは成功例でも誰かへのアドバイスでもなく、こんな経験をした人間もいますよ。ということで。

続く。

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