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おかあさんのはなし

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この記事を書いているのは、5月10日母の日』です。
なので、少し私の母親の話をしようと思います。

※幼い頃の私の暴言が書いてあります。いま病児を必死に育てている方を悲しい気持ちにさせてしまうかもしれません。傷付きやすい方はせっかく開いてくれたのに申し訳ないですが、そっと閉じてください。


私には兄が1人いて、つまり母親は2人の人間を産み・育てたわけですが、もっとなんというか、いっぱい産んでいるような、育てているような気がします。
決してうちの母親の子育てが素晴らしいとか正しいとか言いたいわけではなくて、適した表現かどうか分からないけど、母性の塊のような人だと思います。(母親というのはそういうものなんでしょうか)
私たち兄妹はとにかく愛情を注いで育てられました。注ぐどころか溺れかけ。躾はとても厳しく、間違いはきっちりと正されたけど、それだってもちろん愛情故なので、兄(思春期グレた)は何度か溺死しかかっている。
実家で飼っていた犬はもちろん母に一番懐いていたし、母の可愛がり方もペットに対するそれ以上で「あれ。お母さんその子(犬)産んだ?」と思うくらいでした。私の同級生や、兄の同級生に対しても、友達のお母さんの距離感ではない。
他所の家のペットも一瞬で懐かせることが出来るし、愛犬が亡くなってからは毎冬やってくる野生のカモメを懐かせている。わかんないけどたぶん、動物の言葉が分かるのでしょう。まるで生き物全ての母
私が知らないだけで、植物とも心を通わせられるのかもしれません。
母の育てる鉢植えは、誰がお世話をするより良く育つ。

本人は「近所でカモメばばあってあだ名がついてたらどうしよう」と笑っているので、もしご近所でカモメばばあと呼ばれているおばさんがいたらうちの母かもしれません。優しく見守ってください(笑)


私は、幼い頃から母が羨ましかった。
スポーツ万能で、体のどこにも縫い傷の無い母がとても羨ましくて、たぶん少し妬んでいました
だから誰にもぶつけられない治療のストレスを、がむしゃらに母親にぶつけていました。
「お母さんは何もしてない手術も注射も。痛いことは全部私ばっかりさせられる。なんで。全然一緒じゃない。どれだけ痛いか、したことないから分からないでしょ。私も部屋の外で待ってる人になりたい。」
こんなくそ生意気なことを5歳やそこらで病室で泣きながら叫ぶ、とんでもないクソガキでした。しかし、さすが万物の母は私が何を言っても
「そんな反抗が出来るようになったなんて…すごい!かわいい!頭いい!」の全面肯定

だんだん怒っていることがバカバカしくなって、ここまで愛情を注いでくれる存在に対して一方的に八つ当たりしていることが情けなくなって、大人になる頃には完全降伏。母の圧勝です。
この先も私は、これまでの数々のご無礼をお許しくださいという気持ち(大袈裟)で生きていこうと決めています。

一昨年の私の手術前、母から
娘の手術に付き添うにあたってこちらが健康でなければ意味が無いから、この機会に徹底的に調べてもらった。やっぱりお母さんは何の問題も無かった。と快活に報告されました。
私が幼少期に放った「お母さんは何もしてない。痛いことは私ばっかり」という憎まれ口を覚えていたのかもしれないな、と思いました。
心臓の手術を受ける前には、改めて様々な検査が必要になります。それは結構ハードなもので、分かりたくても分かってあげられない健康体の母は、せめてその追体験をしよう。と考えてくれたのだと思います。
ありがとう。だけど私の主治医から、『経食道エコーは胃カメラの管より太いので、娘さんの方が苦しい思いをしています』と一蹴されたそうですね。先生、これ以上母をあおらないでください。


5歳の時に手術をした病院(小児科だけなのか全体がそうだったのかは不明)のICUは、家族でも室内に入って面会することがほとんど出来なくて、ガラスの向こうからこちらを見ていた両親の姿を覚えています。(会話は電話のような機械を使わなければいけなかった)
だから、今回の手術の後、目を覚まして傍に母親の姿を確認した時は、本当に嬉しかったです。呼吸器がついていなかったら、小さい子みたいに「わ。あかあさんだ!」とか言ってたと思う。どんなに麻酔で朦朧としていても、この人は絶対的な味方だと感じるあの安心感はなんなのか。

今回の手術から1週間後くらいまでの私(完全に意識が戻るまで)の様子を、母がメモに残しておいてくれました。
出てくる用語(鎮静剤とか縫合とか)がいかついけれど、「自分の声に反応を示した」とか「問いかけにうなずいた」とか、その文章はまるで生まれたばかりの赤子を見守ってつけた成長記録のようでした。

体中機械だらけだから何もついていないところを探して(指先や脚など) 触ったことや、返事が無くても話しかけ続けてくれたこと、安堵や迷いなどその時の感情なんかも書いてあって、私は絶対に生きていかなければいけないと思いました。
それは本当のメモ書きだったので、こんな特定の誰かに対して向けたわけではない素直な母親の感情を知ることって、実はそんなに無かったかもしれない。とその時初めて気付きました。


いま私はTwitterのおかげで、病児を育てている保護者の方のツイートを見ることが出来たり、お話させていただいたりするようになって、きっと私には見せなかったいつかの母の気持ちと同じかもしれないと勝手に重ねてしまうことがあります。
みんな自分のお母さんみたいな気持ち。すぐ懐いちゃう。


当時は今よりももっと情報を得ることが難しかったはずだし、特別育てやすい環境でもなかったはずです。
母の母は(私から自己肯定感を吸い取る呪いをかけた祖母)とても厳しい人で、厳しいという一言で片付けるのは勿体ないくらいの人なんですが、最後まで母を褒めることはありませんでした。だから母は、自分がしてほしかったことを周りの人にしているんだと感じることがあります。



私は子供をもったことがないから分からないけど、もしもいつか自分に子どもが出来たとしても、この人には一生敵わないだろうなと思います。
それは、勝負事の勝ち負けとか、なにかで優劣をつけるとか、そういうことではないのだけど、じゃあ何なんだと言われたら、この感情はなんなんだろう。
犬がしっぽ振りまくるみたいな、お腹丸出しで眠るみたいな、そんな感じかもしれない。犬じゃないから分からないけど。


あの頃の母に会って何かをしてあげることは出来ない代わりに、あの頃の母のような、不安な思いを一人で抱える人に、出来ることがあればいいのに。と思います。

すべての「お母さん」という存在に、尊敬と感謝の気持ちを込めて


明日からもよろしくお願いします。


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