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PTSDのようなものについての話③理解

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これまでに書いた【PTSDのようなものについての話】の続きです。
症状について。治療について。
今回は、病院や医者という存在に対してがちがちに抱いていた不信感や恐怖心を溶かしてくれた看護師さんや先生の話。
沢山の方にお世話になりましたが、書ききれないのでほんの一部だけ。それでも少し長くなってしまいました。

※私の個人的な経験や感情の記録であり、幼少期から病気の治療や外科手術を受けた人が必ずこのような感情になるというわけではないことをご理解の上でお読みください。
お名前のイニシャルは本名と異なる場合があります。
 


何度もブログに書いていますが、まず私が治療と向き合おうと思えたきっかけは「僕も先天性の心疾患をもっているんです。」と話してくれた担当医です。
先生自身も、医者になっても未だにICUの天井を見るのは良い気持ちはしないこと、時々手術の後のことをフラッシュバックするような夢を見ることなんかも話してくれて
「僕が子供の頃はね…えふさんの時もまだその名残があったんだと思うけど、お医者様には逆らえないみたいな風潮があって、患者と医師とで上下関係がはっきりついてしまっていたり、先天性心疾患が大人になるのが当たり前になってきたのだってここ何十年かで、僕より上の世代はほとんどいない。はっきり言えば、治療が最優先で、患者さんの感情にまで目を向けなかったんだ。そんな余裕が無かった。成人できるくらいの心臓になっているんだから、決して医学的に間違ったことはされてないとも思うんだけど、PTSDみたいなね、精神に傷を残してしまった患者さんが沢山居るのも事実です。だから、えふさんが悪いわけじゃない。僕たちの世代の医者が、先人の責任を取らなきゃいけないと思ってる。必ずあなたの感情を置き去りにした治療は行わないと約束するから。」

困った顔も、呆れた顔もせず、じっくりと時間をかけて話をしてくれました。
それに先生は、こちらのネガティブな意見に対して「そんなこと言わないで」「そんなことないですよ」「いつか元気になるよ」という返事を絶対にしませんでした。

「〇〇って他の先生に言うとさ、△△って言われたりするでしょ。うるせえなって思うよね。」

初めて話が通じる先生だとおもいました。同時に、先生がそんなこと言って良いんだ。とも思いました。
どうしても『どうせ治らない』と感じてしまう気持ちも、心臓をこれ以上切られたり刺されたりするのが嫌だと思う気持ちも理解してくれて、自分が患者の時は同じような気持ちになったこと、それでも医者の立場からすればこういう理由があって手術を勧めるんだよ。ということを私が理解できるまで何度でも話してくれたので、私はこの先生を信じてみようと思いました。

自分でもこんなことになっている自分が理解できなくて、どうしたいのか・どうしたらいいのか訳がわからなくなっていたけど、私だって、少しでも楽に生きられる方法があるなら、治療を受けたい。心臓も、パニックも。

すぐに精神科(クリニック)への通院と並行して、手術に向けての診察(観察)を続けることに決めました。



初めて採血室でパニックの発作を起こした時、担当医と一緒に私を診てくれていた女医のK先生は、少し離れたところからじっとこちらを見ていました。あ、ひかれちゃったかな。と思っていると、帰りにこっそり話しかけてくれて
「実は私ね、がだめなんです。医者なのに情けないですよね。生理の時なんて、自分の血でさえ失神してしまったことがあって…。」
研修中にも倒れてしまったことがあると教えてくれました。それでも医者になるという目標を叶えたなんてすごいなと私は思ったけど、そんなことはきっと、積極的に話したい話題ではないはずです。だから採血室で、少し離れたとこに居たのかな。
「さっき、泣いちゃってたけど、でもすごく頑張ろうとしてるのが伝わったんです。本人に治療の意思が無いと私たちは何もできないけど、えふさんからはちゃんと治そうとする気持ちが伝わります。だから、少しづつでいいので、がんばりましょうね。」


この先生の言葉で、実は私自身が1番、治療(検査)をすることは結果が全てなんだと思っていたことに気付きました。
「身体の悪い部分が、治療によって改善されていく」という結果だけではなく
自分ではどんなに頑張りたいと思ったとしても、いざ採血が出来なければ何の意味も無いし、数値に出ない努力(飲食の制限のような私生活での努力)なんて無かったことと同じだと。

だからパニックを起こすなんて、治してほしいと思っている人間の態度じゃない。そう思われて当然だと思っていました。
完璧主義という言葉が当てはまるのかどうなのか、とにかく自分のこの考え方が、さらに自分自身を身動きが取れない場所へ押し込んでいたのでした。
変な言い方ですが、K先生から「頑張ろうと言う気持ちが伝わった」と言われて初めて、私にはちゃんと頑張ろうとする気持ちがあるんだ、と思ってすごく嬉しかったんです。
その後のK先生の「がんばりましょうね」は、苦手と向き合って克服してきた人が言う「がんばりましょうね」だったから、私は反射的に『はい。』と答えていました。


手術へ向けての検査が始まっていく中で、様々な科や検査を行き来するようになり、あからさまに面倒がる先生も中にはいました。所謂いわゆる先端恐怖症とも病院恐怖症とも違うので、どういう行為で発作が起きるかが分かってもらえず、とりあえず鎮静かけて、暴れられないように身体を固定すれば(無意識化でも暴れるらしく拘束の痣だらけになるものの)、必要な処置は終わります。
でもそれでは「感情を置き去りにした治療」と何ら変わりません。
誰が調整してくれていたのか分かりませんが、徐々に理解ある先生しか担当につかなくなったり、処置をする側にもされる側(私)にも慣れが出てくると対処法(過呼吸にならないための)が見付かったり、様々なサポートの甲斐あって、なんとか昨年の終わりに自分の意思で開胸手術を受けることになります。




術後の抜管や、点滴を新しく刺すときには、その前に鎮静作用のある錠剤を処方してもらっていました。予定では薬を飲むと、15~20分くらいでふんわりと眠くなってきます。そして眠気で恐怖が和らいでいる間に、サッと処置をしてもらいます。ですが、薬を持ってこられた時点で「何か痛いことするぞ!」と思って交感神経ビンビン。全く眠くならないことがほとんどです。
だけどプラシーボ効果というか『これを飲んだからきっと私は大丈夫』という気持ちが重要で、お守りのようなものになっていました。(処置後に泣き終わって気が緩むとそのまま眠ります)

鎮静が効いてくるまでの間や、器具を準備しながらの時間に、PTSDについて聞いてくれる先生もいました。恐らくカルテに書いてあるであろうことだけで作業的にこなすのではなく、それ以外の対処法を探ろうとしてくれたり、原因そのものに興味を持ってくれていることがとてもありがたかった。きっとこんな先生達なら、昔の自分のような患者が生まれることは無いんだろうなと思いました。


ICUで抜管後に特によくお喋りの相手になってくれたのは看護師Kさん。
PTSDについて探り探り近づいて来るわけでなく、嫌いな食べ物の話題を聞くように自然に質問してくれたので、こちらも気負うことなくどうしてこうなったのか、この病院ではどうかという話をぺらぺらと話していました。
てきぱきと作業をしながらも「そうなんだー。」と相槌を挟んでくれていた彼女が「この病院に来てくれてありがとう!」と言うので、私はびっくりしてしまいました。


なんで病院に行かないんだ。
早く病院に行きなさい。


という言葉なら聞き慣れているけど、「来てくれてありがとう」なんて、面映おもはゆいような気持ちになって、すぐに返事が出来ませんでした。
私がありがとうなのに。身の回りのお世話から何もかも今はひとりではできなくて、そもそも病院が無いと生きていけなくて、だから感謝をするのは患者の私なのに。


大人になってもずっと恐怖の対象でしかなかった場所だから、看護師や医師がどんな職業かも正直よくわかっていませんでした。自分が「心臓と精神に疾患のある患者」という認識だけで扱われてしまうことと同じで、目の前の対象を医師とか看護師とか、そういう括りで捉えていました。
・患者さんのお世話をしてくれる人
・先生の手伝いをする人
・病気を治療する人
・病気の人を診察する人
みたいな。
私の仕事に関心を示してくれる(良くも悪くも)人が多かったから、私も相手の仕事について質問を返すことが多くて、どうしてこの職業を志したのか、どういう信念で続けているのか、といったような
職種としてではなく、その人個人に触れることが出来る環境だったことで、私の中にあった凝り固まった恐怖心はどんどんほぐされていきました。


それから一般病棟で退院前に
「前に入院した時から、えふさんのことが印象に残ってて。」
と話しかけてくれた、看護師のAさん。点滴時にまだパニック発作を起こしている頃から担当してもらうことの多かった、同い年の看護師さんです。
「採血も点滴も、入院のたびにどんどん克服していってて、すごいと思ったんです。すごく努力したんだなって。えふさんは、前回の入院の時に『強くならなきゃいけない』って言ってましたけど、十分強いと思います。」

えー。私 『強くならなきゃいけない』なんて言ってたの。ルフィかよ。記憶になくて恥ずかしい。
だけど、ちゃんと見ててくれたことが嬉しかった。Aさんは、術後の私の異変に気付いてくれた人です。
しかもAさん、夜勤が終わった勤務時間外にわざわざこれを言うために私の病室を訪ねてくれたんです。

加えて「尊敬しています。」なんて身に余るほど褒めていただいた。
いまの私はAさんや、この病院の看護師さんや先生方のお陰で頑張れているから、尊敬しているのはこちらの方です。


時代のせいなのか、医師との相性の問題なのか、それからやっぱり自分の弱さもあると思います。色々なことが絡まって原因になっていて、少しづつ見て見ぬふりをしたせいで気付いた時には自力で解けなくなっていて、いっそのこと諦めてしまおうかとも思っていました。
それでも今は、いろんな人の仕事が重なって私の心臓は保たれていて、いろんな人の優しさや気遣いがあるから心も手術を乗り越えることが出来たんだと感じています。

先日の定期健診での採血では、とうとう普通の人と同じ条件(技師さん1人と私1人。見守る人も無し。)で採血をしてもらうことができました。
やっとここまで来た!という気持ちです。
だけど私が『克服しました』という表現をあまり使わないのは、実際はまだ『今日は発作が出なかった』という言い方しかできないからです。
身体の表面に出来る傷と違って、どれくらいの大きさなのか、どれくらい治ったのかが分かりません。これからも病院と関わらずに生きていくことは出来ないので、前触れなく突然フラッシュバックを起こしてまたパニックを起こす可能性もあると言われています。
だけどもしそうなったとしても、それもPTSDの特徴のひとつであって、私が悪いのではない。(と教えてもらいました)
治したい・克服したいという気持ちがあれば、前ほど絶望することは無いと思えています。

結局は過ぎてしまったものを全て自分の糧にして前に向かうしかないのですが、「良い経験でした」なんて綺麗にまとめられるくらいには飲み込め切れてはいなくて…

やっぱり私は今でも、もっと強くならなきゃいけない。って、思っています。



おしまい。

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