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☆★手術をしますか?しませんか?

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※この記事はマークふたつとも付けました。気を付けてね。
(マークの説明は、えふブログの手引き、もしくは固定ページを見てください)

今回は「手術が必要かもしれない」という話が出てから、実際に日程が組まれるまで、すごく時間がかかってしまったことについてです。みんながこうなるわけではありません。こういう人も居るんだなという気持ちで読んでください。

手術適応の話をされたとき、寿命が延ばせると言われて全く異なる2つの感情が同時に浮かんでいました。
ひとつは、助かった。という安堵の気持ち。
もうひとつは、まだ頑張らなきゃいけないの?という絶望です。

まずこれからのことを考えるうえで私は、この2つのうち、後者の感情と向き合うことが必要でした。


決して早く死にたいわけではありません
でも再手術の話を聞いた時、完治が無いこの身体で寿命を延ばして、術後のあんな地獄みたいな時間をまた過ごし直して、せっかく薄くなってきた傷をさらに増やして、いったい何になるんだろうかと思ってしまいました。その頃は特に当時(4歳頃の手術時)のフラッシュバックも起き始めてPTSDの症状もとても苦しく
母親に電話をかけて泣きながら「もう治療したくないので諦める(手術を拒否する)ことを許してほしい」と話すくらいに追い詰められていました。「手術を受けて」と電話口で母に泣かれても、どうにか断る方法はないのかと考えていたなんて、今思い返せば何とも親不孝な話だと思います。
周囲に話しても当然「手術を受けた方がいい」という人間ばかり。これはありがたいことではありますが、当時の自分にそう感じる余裕はありません。どんなに恐怖と痛みを伴うことか、誰も知らないからそんなに簡単に励ませるんだ。と思って泣いてばかりいました。


お金も時間もかかるし、術後何もできない自分の世話をしてもらうために、家族の時間も奪うことになる。ずっと自立願望が強かった私にとって、それはなんとも情けないことに思えました。そこまで手術をする必要が、してもらう必要があるのか。



考えるだけではわからないし、自分の体が一体どういう状態なのか理解したくて、とにかく沢山の本を読みネットを漁り必死に勉強しているうちに、ある日すとんと腑に落ちました。
第三者としてこんな状態の心臓があったら、この弁取り換えた方がいいって思うのは当然だ。

まだ、やりたいこともたくさんあるし。

「じゃあ、手術してもらわないと。」



手術適応の話をされてから約半年後、自分から担当医に「手術をしてください」と伝えることが出来ました。


手術をするのかしないのかというのは、こちら側だけの話ではなく、病院側でも大きく意見が割れていたそうです。
開胸して心臓をいじるというのはなかなか大きな手術なので、後天性の方の手術にも多くの先生方が関わるんだと思いますが、私のお世話になっている病院には成人先天性心疾患を専門で診られる先生が居なかったこともあり、循環器内科心臓血管外科の他に、小児科、そして精神科の協力のもと、私の手術計画が話し合われることになります。


私の体は、いわゆる心臓弁膜症という診断になりますが、その原因は過去に治療した僧帽弁の経年劣化です。
もともとの心臓が奇形であるため、通常の弁膜症の手術適応条件と同じであるとは限らず、成人先天性心疾患の再手術の時期に関しては医学的な正解がまだないんだそうです。

体力があるうちに早く手術をしても、完治させることが不可能である以上、結果的に再手術の時期を早めたり生涯で受ける手術の回数を増やしたりすることになれば、体への負担や(回数を重ねるごとに)手術のリスクも高まることになる。 だからと言ってもっと劣化が進み、本当に心臓の機能が弱ってから手術をしたのでは手遅れになる可能性もある。(心機能が弱るということは、他の臓器にも負担がかかっていき、いずれは多臓器不全につながるからです)

・患者(私)はもともと慢性的な心不全があるのだから、手術をせずに(もう少し先に延ばして)生活の制限を少し増やして時間を稼いでも良いのではないか。
・患者(私)が若くて体力がある今の段階で弁を置換したほうが、さらなる再手術に耐えうる体力を取り戻すのも早いのではないか。
など。
いくつも可能性が考えられる分、先生達の中でもずっと意見が割れていたそうです。

これは治療をするうえで、患者を『長く生かす』という目的だけでなく『QOLの向上』という目的が追加されるようになったからだと思います。
生活を制限してやりたいことを諦めれば生きる時間を延ばすことは出来るけど、それは正しい幸せなのか。
反対に、寿命が縮むことが分かっていても本人の希望に従って出産を許可したり、好きな仕事をさせたりすることは正しいのか。


結局最後の最後まで「カンファレンスで意見がまとまらなかったんだよね」ということでした。

そりゃそうだ。

体にメスを入れる権利と、他人の人生を決定する権利は違う。
自分のことだってやっとなのに。
医療の専門家が集まったからって、そんなに簡単に他人の人生の最適解が出せるはずがない。

最終的には、担当医始め外来で診療した医師達が早期の手術に賛成している点、そして患者本人とその両親が現段階での手術を望んでいるという点で、年内に弁置換手術をやることで話がまとまりました。

私が手術をしてくださいと伝えてから、さらに3か月かかりました。

(この3か月の間に、なんとか自分の感情を丸め込むことに成功しました。泣くほど嫌だった手術をなぜ受けたいという気持ちになったのか、つながりが不自然かもしれませんが、これについてはまだ客観的に文章にできるほど頭の中が整理できていません。 またいつか忘れた頃に説明できたらいいなと思っています。)

QOLとは… Quality of Life (クオリティオブライフ)
       「生活の質」とか「人生の質」とか、そんな感じ。
       ピンと来なかったらご自身で検索してみて。


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