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PTSDのようなものについての話②治療

体験談
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私の持っている医療行為への恐怖症について話しています。【PTSDのようなものについての話①】の続き。
※私だけが特別であるということはありませんが、小さなときから病気の治療を行っている全てのお子様が将来的にこのような状態になるとは思わないでください。
前回の記事で「もしかして自分もそうなのかも」って思わせてしまった方がいるかもしれません。だけどこれって、占いで「最近嫌なことがあったはずです」って言われると、あのことかな?って勝手に結びつけて「当たってる!」って言ってることに近い面もあって、医療行為なんて痛いし怖いと感じるのが当たり前だと思うんですよ。
例えば、もし「自分もそうかも」と思った場合は、まず自分の処置をしてくれている医師に聞いてみてください。お医者さんはプロなので、様々な患者さんと接しています。自分の反応(怖がり方)が正常でなければ気付いてくれると思います。
過度に不安にならず、こういうこともあるんだなくらいの気持ちで読んでくださればありがたいです。



クリニックではエクスポージャー療法という「行動療法」を中心に行いました。
トラウマになる原因、つまり私の場合は医療行為ですが、そこから離れて生活することは出来ません。なので、不安や恐怖心を抱いてしまう対象に慣れることを目的としての治療が始まりました。


ここからは私のやってきたことを一例としてあげていきますが、正直誰にでもできそうなことだと感じると思います。ですが、同じことをしてもトラウマを克服できるとは限りません。自分も同じような症状があると思う方がいても、必ず専門の病院やクリニックで先生の指示を受けるようにしてください。


まず、先生(同年代くらいで話しやすい人でした)と1対1でカウンセリングをしてもらいながら、恐怖を感じる対象を紙に書きだしていきます。
例えば、注射とか、点滴とか
次に、それがどれくらい怖いか。逆に言えばどこまで耐えられるかを書きだします。
私の場合なら、医療ドラマでは注射のシーンすら見られないとか、点滴の薬剤(パックやシリンジ)は見ても触っても平気とか。
今はもう映像であれば何とか見られますが、かつて見られなかった頃は大変でした。医療ドラマだと分かればチャンネルを変えればいいんですが、冬にニュース番組でインフルエンザの予防接種の話題とかしてね、さらっと子どもが注射されてる映像なんかを流すでしょ。あれは不意打ちもいいとこ。声じゃない声出ちゃう。

さて話を戻しますが、恐怖の対象を細かく明確にしていきます。これで、私のパニックのスイッチは、『皮膚に針が刺さる』であることが分かりました。
文具用の注射器を買って自主トレもしました。対象物に慣れることが進んでくると、実技(?)です。処置室を借りて、実際の医療器具に触ってみたり、看護師さんに協力してもらって採血の針を刺す手前までを実際にやってもらったりします。
さらっと書きましたが、ここまでに半年くらいはかかってます。
恐怖と向き合うってめちゃくちゃ疲れる。先生達すごいと思います。

カウンセリング担当の先生以外に、別の先生からの診察もありました。
私の場合は、日常生活(病院に行かない限り)には全く支障のない症状だったので、診察と言っても大学病院側とどう連携していくかの相談や報告が主でした。
出来れば安定するまでストレスが増大するような行為は避けたいけど、定期健診や術前の検査のために針を刺す行為を避けられない場合(採血・造影剤・点滴等)は、事前に鎮静剤を飲んでから処置をしてもらうということにまとまり、薬の飲み合わせ(鎮静の薬にもいろいろあるから)や成分について、気になることは何でも教えてもらいました。

そのころに「誰かに不安を話すこと」「自分の状態について正しく理解すること」が自分には圧倒的に足りていなかったことに気付いて、自分の心臓についてや飲んでいる薬について勉強するようになります。
同時期にTwitterでアカウントも作りました。これは過去の記事(【Twitterでの出会い】)でも書いていますが、同じような手術経験者と話すことでも随分と救われました。

そうやってだんだんと前向きに取り組めるようになっていきましたが、そもそも医療行為なんて何かを刺したり、飲まされたり、喉から管挿し込まれたり、痛くて怖くて我慢しなきゃいけないことばっかりなんだからそんなの嫌だと感じるに決まっていて、平気になるわけないんです。
それでも、あの得体の知れないものに飲み込まれるような恐怖感ではなく、刺したから痛い、見えない箇所の診察だから不安になる、という「恐怖心の実態」が掴めるようになっていって、本当に少しずつ、慣れていきました。


クリニックでのカウンセリングは、最終的に手術に伴う入院に耐えられる状態になることを目的としていました。手術そのものは、麻酔鎮静剤など強力な薬の力で眠っている間に終わるので問題ではなくて、本当に大変なのは目覚めた後です。様々な抜管や毎日の点滴。怒涛の検査三昧。
クリニック側としては、少なくともあと1年くらい治療を続ければいけるんじゃないかなという予想をしていた頃に、心不全がガクッと進行してしまいます。原因は不明。大学病院側からすると「あと1年も待つのは危険」という診断。

感情だけで言えば
「え、手術はもっと先だって言ってたじゃん。全然無理です。」
だけど、自分の心臓がどういうことになっているかを理解できるようになっていたので、これが誰か知らない人の体だとしたら
「そんな状態でなにぼやぼやしてるの。早く治してもらわないと!爆発するぞ!」
っていう気持ち。
爆発なんてしないんですけど心臓は。イメージというか。


精神面のことはほとんど知識が無いので、外傷と違ってどれくらい傷んでいるのかが見えないし、先生達が言うように心が壊れてしまったときにどうなるのか全く想像できなかったけど
どうせ全部が上手くいくこと(心も完治、心臓も完治、みたいな状態)なんて無いんだから、思い切って手術を早めてもらうことにしました。

良く言えば「決心した」ことになるのかもしれないけど、自分にとってもっとしっくりくる表現は「開き直った」です。どうせ死んでしまうならどうにでもなれ。

そこからしばらく検査が続く間に、すっかり大丈夫な日があるかと思えば泣くこともあったり、検査後にうなされたり、過呼吸になってしまうこともありました。それでも着実に慣れてきていたし、そんな患者を扱うことに周囲も慣れてきていました。パニックを起こすパターンを周りの人(処置する医師や看護師)が理解して対策をとってもらえるようになっていったんです。私が手術まで耐えられたのは、周りの医療従事者の対応のおかげだと思っています。
病院が原因で生まれたストレスを、病院のおかげで克服できるなんて思わなかった。本当に感謝しています。これについては次の記事に書きますね。


次回は、私の積もりに積もった不信感や恐怖心を解いてくれた先生や看護師さんの話。



続く。

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