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時代の流れは遅くて速い

世間話
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世界で初めて心臓の手術が行われたのは1896年だそうです。(それ以前にも挑戦した医師は居たらしいけど成功しなかった)ドイツの医師。
それまで、心臓は精神の宿る神聖な臓器で、切ったり縫ったりする外科的治療を施してはいけないとされていました。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「神の宿る心臓だけは、傷付けてはいけない」と言ったとか。そんなこと言うなよ。と、令和の私は思います。
世界で最初のカテーテル手術は1929年。これもドイツ人医師。自分で自分の体内にカテーテルを入れたそうです。すごすぎる…痛かっただろうな…。(左ひじの静脈から心臓まで)
ヘパリンが発見されて人間に使われるようになったのが1935年、そして1953年にアメリカで人工心肺装置を使った心臓内部の手術が初めて成功します。(患者は心房中隔欠損症の女性)このとき、人工心肺で心臓を止めていられたのは26分間。そして、同じ医師によるその後2件の心臓手術は成功しませんでした。

私が生まれたのは、1989年。手術をしたのは1990年です。
世界で初めての先天性心疾患の手術が成功してから、たったの37年後。私の手術は8~9時間ほどだったと聞きます。そこから30年後、さらに長い18時間(人工心肺に繋がってたのはもう少し短い時間だけど)の手術をして、いま生きています。
さすがにドイツ人医師はもうご存命ではないけど、できることなら会って教えてあげたい。いま、心臓を手術するのは当たり前になっていますよ。世界中で何人もの心臓病の人が助かってるんですよ、と。

最近は、お腹の中にいる時から赤ちゃんのことが分かるそうですね。
赤ちゃんにもしも先天的な疾患が備わってしまった場合、生まれる何カ月も前からそれが分かることもあるんでしょ。それで、お腹の赤ちゃんが心臓病だって分かったから、心臓病の情報が欲しくていろいろ調べるうちに、このブログや私のTwitterを知ってくれる方がいるようで
すごい時代になっているんだなぁと思っています。

もちろん、それで産まないという選択をする人だっていると思います。
それに対して良いとか悪いとか、そんなことは他人の私が言うことではない。


【成人先天性心疾患】という名前も、初めて聞いた時は正直「何なんだ」と思いました。
大人になった(成人した)先天性心疾患だから、成人先天性心疾患て。もうちょっと何か、おさまりのいいというか、語呂のいいものは無かったのか。サ行が多すぎないか。
でも、私が生まれる少し前、成人するのが当たり前ではなかった時代が存在していたんですよね。

私が20歳になる頃は「貴方の体は大人になっても小児科で診ないといけないんです」と言われていました。大人の心臓病の人が行く病棟もあるけど、後天的に心臓が悪くなった人とは仕組みが違うから。そういうもんなんだなと思って何の疑問も持ってなかったけど、それが今では成人先天性心疾患専門の先生や、外来のある病院も増えているんでしょ。


時代の流れは速い。
今日の当たり前が、1年後には当たり前じゃないのかもしれません。
だから、いまより先の、未来の医療に希望を持てる。
いま私の心臓は、悪くなった部分を人工のパーツに取り換えることで寿命を延ばしてもらったけど、未来では全て自分の細胞から代わりのパーツを作り出せるのかもしれない。
そうなればもっと安全性が高まったり、後遺症や合併症に悩むことが無くなるかもしれないし、手術という治療自体のハードルが下がったりするのかもしれない。

可能性を考えるのはわくわくするけど、そこにはどうしても、今できるならなんで1年前にはできなかったの?という気持ちだって纏わりついてきます。


「生まれるのが10年早かったら、助かってなかったかもしれない」なんて、同年代の先天性心疾患をもつ人間であれば、言われたことがある人も少なくないのではないでしょうか。

自分の手術の説明を聞いた時、「えふさんの心臓はこうなっていて、前回の手術でここを切っていて、当時の方法では~」という言葉を何度か聞きました。
当時の方法では??いまは違うの?いま私が赤ちゃんだったら、どんなやり方でどうするの?それだともっと楽に大人になっていましたか?
と、そんなようなことが何度も喉まで出ましたが、飲み込みました。
そんなの聞いても仕方ないから。


例えば私たちは1列に並んで手術を待っているとして、自分が今100番の整理券を持っているとして、250番目の人から後ろは手術の安全度が30%上がります。と言われても、その列を並びなおすことは出来ません。私は、251番目の人が251番目であるための100番目でなければいけないのです。同じように私が100番目でいられるのは、その前に並んでいた99人の人が居たからで、そうやってこれまでもこれからも続いていくんだと思います。

実際は自分が持っている整理券が何番だったのかは分からないし、もし私が300番目だったとしても、どんどんとその列は続いているので、今度は370番目くらいの人を羨んだりして、その繰り返しで、私は列に並び続けるし、それはなにか大きな歴史の流れの中に混ざっているような気持ちになれて、悔しさや羨ましさを飲み込んでしまうくらいのおかしさを感じます。(この「おかしい」は「いとをかし」のをかしさ)


いつかポケモ〇センターみたいに、何かのカプセルに入って光を浴びるだけで全ての治療が終わるような世界に、なったらいいのにな。

ならないんだろうな。


おしまい。


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