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☆術後には思いもよらないことが起きるよっていう話

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心臓の弁置換術を受けた後ICUで約2週間過ごし、やっと一般病棟に上がれたと思ったら急変して、またICUに戻ってしまうまでのお話です。

ICUから一般病棟に移って最初に思ったことは、明るい!!
私がお世話になるのは心臓が悪い人ばかりいる階で、上層階にあったので空が良く見えて、それだけで解放感。なんか体調も良くなった気がする。

良くなった気がするのに、やたらとしんどい
少しずつ身体を動かし始めたから筋肉痛にもなるし、傷も内側の骨も痛いから、最初は何やっても疲れるよ。体力の無さにびっくりするよ。とは言われているけど
食事中の咀嚼も、飲み込むことさえ疲れる。お腹は空くんだけど、くたびれて全部食べられない。生きるってこんなにエネルギー使うの?
「とにかくリハビリを頑張ってもらうしかないから、しんどくても動いてね。」
それは分かってるんだけども
リハビリが辛くてごねてるわけじゃないんです。ただ、全然良くなってる気がしないんです。


もう一つ、一般病棟に上がってからずっと気になっていたことがありました。

体重が減ってない

厳密に言うと、術後最初に計ったときが術前と比べて-3㎏
術前は心不全で凡そ2㎏くらい浮腫んでいて、そのあと点滴で栄養を入れていたとはいえ2週間近く絶飲食だったにも関わらず、1㎏しか落ちてない。
看護師さんや先生に違和感を訴え続けても、バイタルは24時間見ているしデータ上特別異常は無いと判断されていました。

それでもやっぱり絶対に変。心不全は改善されるって聞いたのに。
確かに術前より脚の浮腫みはひいているけど、お腹がたぷんとしていませんか。これは筋肉が落ちただけで説明できるたぷんですか。

私がこんなにも浮腫みに過敏なのは、小さい時の手術に原因があります。手術そのものではなく、手術の後に起きたこと。
当時5歳。僧帽弁を無事に形成しICUを経て、一般病棟に移り数日経ったある日。
身体に触ると私が痛がるので「何かがおかしい」と思った母が先生に訴えたのですが、その時は「とりあえず様子見ましょう」ということで土曜日。先生がお休みだった日曜日を経て、月曜日には顔もパンパンに浮腫み、肺水腫と診断されました。処置室まで運べないからここでやりますなんつって、そのまま病室で緊急に肺の水を抜くことになったのでした。
おい。異常を訴えた段階でもっと検査してくれてたらここまで悪化してなかったんちゃうんかい。と外科医にブチ切れる母を「医者に立てついて機嫌を損ねたら今後治療してもらえなくなる」と内科医が静止するというサイドストーリーもあったとか。
(当時はいまよりもっとお医者様時代だったから。お医者様の言うことは絶対。)

私の記憶に残っているのは、病室に機械を持った大人(医師と看護師)がいっぱいやってきて、私は横向きに寝かされてビニールシートみたいなものを被せられた風景。
注射をしますとかなんとか言ってるけど、普通の注射じゃないことは子供でもわかります。ビニールシート被せられて押さえつけられてるんだから。そして異様に母親が焦っているんだから。
それから少しして、ものすっっっっっごい痛み。麻酔してなかった(効いてなかった)んじゃないだろうか。
なんだあれは。例えようがない。微かにチューブの触感。 さすがの5歳でも、これは生きてる人間にしていいことか?と思った。

そんなことがあったお陰で、またあんなことが起きたら、と思って気が気じゃないのです。
だけど、恐れていたことは起きました。

実は2日ほど前から、お腹が痛いなぁというのはじわじわ感じていました。下してるのではなくて、胃が荒れてるみたいなぼんやりした痛み。だから胃が荒れてるんだと思ってたんです。絶食期間長かったし、点滴がいっぺんに経口摂取薬に変わったし、胃がびっくりしてるはずだって。


だけどその日は昨日までより明らかに痛みが強く、朝の回診で執刀医に痛みを訴えてみると
服の上から触診をし、胃ではない感じだねぇと。腎臓も肝臓も腫れはない。位置的に術中ドレーンが刺さっていた場所だから、抜管後に違和感や痛みがある場合もあります。しばらくしたら治るよ!気にしないで!ということでした。
加えてその日生理が始まったせいで、だんだん強まる痛みや倦怠感は生理の影響かもしれないと私自身も思っていました。
午後、リハビリの歩行訓練の最中に、もうどうにも歩けなくなってしまい途中リタイア。
鎮痛剤をもらったのに一向に良くなりません。生理痛にしてはちょっと変かも…。
夕方、仲良くしてくれていた同い年の看護師Aさんが様子を見に来てくれました。
「先生(執刀医)のことを信用してないわけじゃないんだけど、えふさんの痛がり方が普通じゃないから気になって、別の先生捕まえてきちゃった!」
それからすぐに、私の執刀医でも主治医でもない心臓血管外科の先生が来て、もう1度調べ直すことに。
矢継ぎ早に腹部のレントゲンとCT、内科の先生もやってきて病室で腹部エコー。

診断結果は

急性胆嚢炎


きゅうせいたんのうえん?
なんで胆嚢?ドレーン関係ないの?心因性なら腎臓か肝臓のはずで、先生達もなんで胆嚢?って言ってる。


「胆嚢が炎症を起こしています。まだ初期なのでね、抗生剤の投与で様子を見ましょう。それで炎症が治まれば問題ないですし、万が一重症化した場合はね、胆嚢に膿が溜まってる状態になるから手術が必要になることもあります。」
ししし…手術!?
「あとはお腹に太いストロー状のものを刺して、そこから膿を抜くという外科的治療もあります。」
また刺して抜く!!
「でも初期だから、薬で治まれば大丈夫だから。もし酷くなってもね、お腹に管を刺して、これは肝臓に穴を開けるようになるんだけどね、胆嚢は肝臓の後ろ側にあるから。それで、膿を抜きます。」
丁寧に説明し直したってことは重要なことなんですね。分かりました。

さっきドレーンの痛みだから心配しなくて大丈夫!と快活に言った執刀医がそろりとやってきました。
「えふさん、胆嚢の場所が普通とちょっとずれててね、触って分からなかったんだ。データ上でも、胆嚢炎だと上がるはずの数値が上がってなくて…CT撮ってくれてよかったよ。ごめんね。」
この人、偉いお医者様なのに!謝ってくれた!
時代は変わったんだということと、私は胆嚢の位置がずれてるんだという2つの衝撃。
「大きな手術だったから、予想以上に身体全体への負担が大きかったんだな。それが今回たまたま胆嚢に出たんだと思う。心因性かどうかは正直はっきり分からないんだけど、術後は思いもよらないことがあるからね。でも内科の先生がきちんと抗生剤処方してくれたし、もう大丈夫だからね。」

Aさん、本当にありがとう…
貴女が院内セカンドオピニオン(勝手に名付けた)をしてくれていなければ、私はまた重症になるまで気付かれず、身体に管を刺されて膿を抜かれるところでしたよ…

いままでの点滴(術後心臓の炎症を抑える薬)に加え、胆嚢炎用の抗生剤の点滴がつけられ、医師から再びの絶食を告げられます。
いいです。どうせお腹痛くて食べられないから。
とりあえず、薬が効いて炎症が治まることだけを願って、横になるのみ。お腹痛い。横になっても縦になってもお腹が痛い。そのまま意識が朦朧としたり、うとうとしたり、ぼんやりと痛みと共に時間が過ぎるのを待っていると、病棟に面会終了時間のアナウンスが流れました。
その日は父が面会に来てくれていて、私は初めて「まだ帰らないでほしい」とお願いしました。
得も言われぬ不安感。小さい時の、一人にされたら寂しい、みたいなこととも違う。別に父が居ることで痛みが和らぐわけでもない。だけど、なぜか無性に不安で、今になって思えばきっと本能的に身体の危機を察したのかもしれないとも思います。
今日だけ病院で泊まらせてもらえないか。面会時間を延ばしてもらおう。とにかく今帰られては困るのだということを脚に縋りつかん勢いで話しながら父を引き留め、気付いたら眠っていて、夜中に目が覚めた時には父は帰っていました。

歩いてトイレに行く。お腹の痛みは、和らいでいる気がしました。腹水は少しある気がする。これが膿かな。やっぱり身体がだるくて、引き摺るようになんとかベッドに戻って、なんとなく呼吸がしにくいような気がしたけど、動いて息が上がっただけかなと思って(思いたくて)ナースコールを握りしめて目を瞑ることにました。
それからどれくらい時間がたったか分からないけど、目を開けたら看護師さんが2人いて私は呼吸が苦しいことを訴えていました。
「もうすぐ先生来ますからね!」「今日は当直がN先生(私の外科主治医)だから!よかった!」
先生が到着して、ベッドが今までいた大部屋から、別室に動かされます。そこは一般病棟の中でも重度の人が入るナースステーションに一番近い部屋でした。
息がどんどん出来なくなって、喋ればもっと苦しくなるのに、それでも苦しいって言わずにいられない。黙ったらそのまま息するの忘れそう。ICUでは楽になりたくて殺してくれまで言ったのに、今すごく死にたくなくて矛盾してるなぁ。そんなことを考えるくらい、頭の中にはずっと他人事みたいに冷静に状況を把握している自分も居ました。


周りで何かいろいろ話しているんだけど、はっきり覚えているのは私の脈拍と血圧の数値がどんどん下がっていること。いつも暑くて仕方ないのに、指先からじわじわ冷たくなっていきます。
置換した心臓弁が動いてないらしい。手術は成功だったって言ったのに。なんで。

「ICUに連絡して」
私はまたICUに行くんですか。
「いま満床です」「何とか空けてもらって」
あれ。パジャマから術衣に着替えさせられている。また手術?
「親御さんに連絡して」
こんな時間に親に連絡する? だからお父さんに帰らないでって言ったのに。
「ICUベッド空きます」 「移動できる?」
「6時に入室できるそうです」「それまで待てない。いますぐで頼んで」
待てないのか。苦しくなくなってきたな。死ぬかな。


周りが少し静かになったとき、なんとか振り絞って先生に話しかけることが出来ました。

先生、私は、大丈夫ですか?

先生が何か答えた気がするけど、よく覚えていません。ただ、ちゃんと目を見て、そっと手を握ってくれたので、もう大丈夫だと思うことができました。


「ICU空きました!」「すぐ移動!」

あとはもうされるがまま。 ICUに着いたら、男性の看護師さんが抱え上げてくれてベッドを移る。尿道カテーテル挿管。
顔のあたりに何か被さる感覚がする…。あれ?これは…ビニールシート!!
結局!また!またビニールシート!!
だけど何かを抜く為ではなくて、首の動脈へ点滴を刺すためでした。 そのあと手首の動脈にも。数日前にやっと外してもらえたあれこれが、また一つずつ繋げられていく。
気が付いたら呼吸がしやすくなっていて、寒くなくなっていて、そしてそのまま眠ってしまいました。

時々目を覚まして『私はなんで苦しくなって、今どういう状態ですか?』と訊ねたいのに、言い切る前にまた眠ってしまうくらい、ひたすら眠かった
ただ、人工呼吸器が入れられてないことに安心して、そのまま24時間近く眠り続けました。

今日は、ここまで。
術後は急変してビニールシートを被されがち。というお話でした。

※サージカルドレープ(医療用ドレープ)っていうらしい。

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