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☆ICUへの出戻り

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弁置換術後、一般病棟に戻ってこられたのに急変を起こし、再びICUに入ることになったお話。


「起きました?24時間くらい寝続けてましたよ。」
目が覚めたのは、急変を起こした翌々日でした。
すごい眠かったもん。夢も見ずに存分に眠って、今とてもすっきりとしている。背伸びと深呼吸したい。首と腕の点滴が無かったら。

まだ眠いですか?
『いえ、大丈夫です。』
あれ?私清々しい顔してないですか?寝すぎて瞼腫れてんのかな。

回診が始まる前から、いろんな先生が私と私のデータを見に来てバタバタしています。
何科の先生からも飛び交う分からない」「説明が出来ないのワード。
えー。説明してよー。
とりあえず、眠り続けている間に胆嚢の炎症は完全になくなったことだけ分かりました。
なんにせよこれで何かを刺されて液体を抜く可能性からは解放されました。人工呼吸器も挿管されてないし、原因は先生達が調べてくれるだろうし、何か起きてもここなら大丈夫、私は全てをお任せするのみ。無事に目が覚めたからもう何でもおっけー。


最後まで「恐らくこうであろう」という診断しか出なかったけど、退院までにいろんな先生がしてくれた説明をまとめると

急性胆嚢炎を起こした原因は不明。心臓の手術で他の臓器にも負担がかかる中、たまたま胆嚢だった(のかな)。
・胆嚢炎であれば上昇するはずの数値が上がっておらず、血液検査の段階では発見できなかった
・こんなに早く完治するか?という違和感もあるが、CTの結果確かに胆嚢は腫れていたので、胆嚢炎だったはず。
・心臓弁の手術自体は大成功している。
心因性で胆嚢炎て起きるのかな?術後の体力が落ちた状態で、心臓とは関係なく突発的に胆嚢炎になったのでは?
胆嚢炎が直接心臓に悪い影響を与えたとは考えにくい。
・薬の処方量や組み合わせに間違いは無かったが、体力が落ちているところに抗生剤の類をいっぺんに投与してしまったので、心臓が負担に耐え切れずショック状態となってしまったのかも。

※ショック状態とは⇒https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/06-%E5%BF%83%E8%87%93%E3%81%A8%E8%A1%80%E7%AE%A1%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E4%BD%8E%E8%A1%80%E5%9C%A7%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

こんなようなことでした。
そして、ショック時の当直が自分の主治医であったことが最大のラッキー。少しの判断の遅れで予後に大きく影響する状態だったけど、主治医の素早く的確な処置が見事だったそう。
何を処方して何が改善されたのか、といった医学的なことは私には分からないけど、とりあえず目を覚ました段階で安定しており、今度こそもう大丈夫と言える状態になっていたようで
執刀医や循環器の担当医が代わる代わるやってきて「よく持ちこたえてくれた」と労ってくれました。
いやいや、私はされるがままだったので、先生方に感謝するしかありません。


外来で関わった先生達もICUまでわざわざ様子を見に来てくれました。

優しいな、みんな来てくれて退屈しないな嬉しいな、今日は外来が落ち着いてるのかしら、なんて呑気に思っていたけど、よくよく考えたら12月の大学病院でそんなはずはなく、単純に私がそれだけ危険な状況だったということみたいです。
本当にありがとうございました。
これまた本能的なものなのか、いっぱい寝たからなのか、非常に穏やかな気持ちです。点滴だらけでまたICUに居るけど、このまま体力が回復すればいいだけ。これでしばらく死ぬことはないな、と思えるくらい安心していました。



それなのに、顔が動かないんです。


なんで先生達に「眠いの?」って聞かれたのか分かった。
声も出るし普通に会話は出来るのに、朝から私は表情が全く動いていない動かせない
1週間前にもお世話をしてくれた看護師さんを捕まえて『私、前はもっと表情ありましたよね?』と訊ねてみました。
『いまも感情は普通で、もっとにこにことかしたいんですけど、顔が動かせないんです。痺れてるとかじゃなくて、顔の筋肉が動かないというか…』
するとすぐに表情筋のリハビリをする先生をよこしてくれました。さすがICU。対応が早い。でも違う。そういう事じゃないと思うんです。
けど一応ね、何があるか分かりませんから、診察は受けます。
筋肉や神経には問題ないと診断されました。よかった。
だからといって原因が何かとは判明しなくて、ショック時にすごく体力を消耗しただろうからまだ疲れてるんじゃないですか?と。
それはそうなんだと思いますけど…。

ここでひとつ思い出したことがあります。
また5歳の時の手術の話になるのですが。
実家に置いてある昔のアルバムの中に、あまり開かない1冊があって、私が入院してる時の写真なんですが、時系列でまとめて偶然その1冊にまとまっているだけなのか、意図的に母が選別したのか分かりませんが、その1冊の中の私にはほとんど表情がありません
一応ピースしてみたり、カメラの方へ向いたりはしてるけど、全然子供らしさがない空っぽの目をしていて、我ながら痛々しくてそのアルバムだけはあまり開きませんでした。

たぶん私、いまあの時の顔してるんじゃないだろうか。それに気づいてから『あぁ、あん時のアレね』みたいな余裕が持てました。
どうやって元に戻ったのか全く覚えてないけど、退院するころの写真にはもう表情は戻っていたし、両親から特にその時期のエピソードなんかも聞いたことなかったから、ほんとに一時的なものだったんだと思います。


回診と診察ラッシュが終わった頃、母が面会に来てくれました。
母は、今の私の状態を見ても、そら身体も心もびっくりしたんでしょう。すぐ戻るわ。とさらりと宥めてくれ、さすが母親は慣れたものだなと思いました。
午後からは目立った検査もなく、前回母が面会に来たのはまだ私に呼吸器がついていた時だったので、久しぶりに自分の声でゆっくり話をしました。この一週間でどんなことがあったのか。怖かったこと、不安だったことを初めて口に出して、言葉と口調が全く合ってないくらい淡々と説明していると、相変わらず顔は動かないけど、だんだんが出てきて
それから母の前で、憑き物が落ちたみたいにぼろぼろ泣きました
大人なのに、恥ずかしげもなく。

次の日目が覚めたら、また表情が出せるようになっていました。

看護師さんには「(表情が戻って)よかったー。昨日は仮面みたいでしたもん。」とは言われたものの、そもそも顔が動かなくなったこと自体はそんなに心配されていなかった。急変する人も多い環境ではもしかしたら割とよくある話なんでしょうか。
治療について、頭で理解することと、気持ちの面で納得することはイコールではないから。



「胆嚢は動かし続けた方がいいんだって。」と、食事もすぐに再開。
今回は4日間くらいで一般病棟に戻ることになりました。
腹水が抜けたことで、体重は見たことないくらい軽い数字に。ほらやっぱりね。
ここまできてやっと、通常の術後の状態になれた気がします。



お世話になった看護師さんから
「えふさんのことは好きだけど、もう2度と来ないでね!」と送り出していただき、今度こそ本当にICUを退室しました。


これで苦しかった期間の話はやっとおしまい。
合計すると19日間もICUで過ごしたのでした。お世話になりました。

あと少し入院は続くけど、今日は、ここまで。

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