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★病気と手術の傷跡について⓹大人になったら納得できた話

手術の傷の話
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前回の記事★病気と手術の傷跡についての続きです。
手術跡や病気について、自分はどのように認識していたか。それから周りの環境はどうだったかも含めて、幼少期からの感情の変化を書いてきましたが、今回はやっと現在の話です。

※あくまでも私の個人的な話です。
 今回も楽しくないエピソードが含まれますので★マークつけてます。マークの意味はお手数ですがこのブログの手引きを見てくださいね。






10代の終盤で、気持ちの整理をつけたつもりになっていました。 病気を「受け入れる」ことで、くよくよしなくなった。それで完了したと思っていました。それなのに、エネルギッシュに活動するようになったことと反比例して、異常なまでに病院が怖くなりました。
20代の半ばで発作的に強い不整脈が出るようになって病院に行かざるを得ない状態になりますが、医療行為に対してパニック発作を起こすようになり、心臓の治療云々の前に精神科を受診してくれと言われます。
過去の記事〘ある先生との出会い〙の記事でも書いたので詳細は省きますが、今の担当医に出会ったことで、過去の経験による一種のPTSDであることが分かります。
そこから何でもいいから助けてほしいという気持ちで、精神科やメンタルクリニックにも通いました。

担当医との会話やクリニックでのカウンセリングを進めるうちに、自分のことなのに説明できない、自覚していない感情が沢山あることを知りました。それらの答えは当然誰かが教えてくれるのではなくて、自分で何とか探すしかありません。
そのうち、自分自身が病気であることを「認める」ということを今までしてこなかったことに気付きます。「受け入れる」と何が違うかっていうと、かなり感覚的なものなんですけど、小さい頃から、病院の先生や親から聞いたことをそのまま納得することにエネルギーを使ってきたんです。理不尽なことも、理解できないことも、全部無理やり納得させる為の努力しかしてこなかったんです。本当は、違和感を言葉にして誰かに伝えるとか、納得してない自分を認めてよかったのに。それで病状が何も変わらなかったとしても、心臓そのものと感情という意味のは別だから


まずは分かっているつもりになっていた自分の病名や、どんな手術をしてきたのか、それらをもう1度最初から調べ直すことにしました。ネットで片っ端から検索をかけ、図書館で書籍や論文を読み、Twitterでアカウントを作ったり、講演会に行ったりしました。
驚くべきことに、病名そのものが変わっていました。そんなことあるんだ。
私が生まれた時、心内膜症欠損症と呼ばれていたそれは、現在房室中隔欠損症というそうです。なんで。心房中隔欠損症という別の病もあるのに。ややこしい。でも自分の知識はそれくらい昔の情報から更新されてなかったのか。
正しく知っていったことで「一般的な身体と何が違うのか」を理解でき、なんでこの薬を飲むのか、なんですぐ息が切れるのか、なんで手術するのか、が自分の中ですっきりと納得できました。


それによって「自分の病気が嫌だ」「こんな体が嫌だ」と思い続けてきたけど、病気の何が嫌なのか。どうして嫌なのか。もっと深いところまで分析してみようという気持ちになりました。
私は何が怖かったのか。何を大切にするために、何を諦めてきたのか。その全てが本当に病気だけのせいだったのか。




同時期に、心不全の状態が慢性化して、少しづつ検査を進めていくにつれ「あれ?思ったよりも状態が良くないぞ」ということが分かってきて、当初5年以内にと言っていた手術がどんどん早まり、年内にという話になります。
(ふたを開けてみたら実際はそれでも全然遅すぎたらしいけど)

幼少期と違いすぐに死を考えるような状態ではないので、そこから今度は病院内で意見が分かれ、実際に手術日程が決まるまで3カ月程度かかります。

その期間に私は、胸の傷跡を見られるようになります。
え、なんで急に?って感じでしょ。私も。
なんとなく、見てみようかなって思いついたんです。お風呂の時に。

ずっと忌々しいものだったせいで、最後にしっかりと傷を直視したのがいつか覚えていません。
久しぶりにきちんと見た傷は、自分が思っていた以上に綺麗でした。
せっかく見られるようになったのに、もうこの傷は見ることが出来なくなるんだなという寂しさ。また同じ場所を開いてもらうことへの不安。調子に乗って直視し続けるとこみ上げる嗚咽。
そんな不安定な気持ちを繰り返しながら手術日を迎えました。


体が動かせるようになっても、新しい傷跡を見て、これまで以上に嫌悪を感じてしまったらどうしよう。心を保てるだろうか。それらの心配は杞憂に終わりました。
地獄のICU生活を越え、一般病棟に移って初めて自分の裸を見たときは、全身痣だらけだし傷まみれだし手足はガリガリで胸部はまだ痛む。「うわぁ…。」って感じ。それ以上でも以下でもありません。そして退院して動けるようになって、いまは胸元も体の他のパーツと同じように見ることが出来ています。
いつ嫌悪感を思い出すか分からないので恐る恐る…という感じではありますが。

開胸範囲は小さい頃と変わらず、以前より薄くなったわけでもありません。むしろ回数を重ねて痛みも残りました。
でも、今までと大きく違うのは、汚いから、見られたくないから隠さなきゃいけない・隠したい、という気持ちだけではなくて
これは自分にとってとても大切なものだから、知らない人に簡単に見せたくない・隠したい、という気持ちになったということです。
端的に言うと、やっと納得したんだと思います。自分の身体になんでこの傷がついているのか
そんなことにこんなに時間がかかってしまいました。
だからと言って無傷の身体への憧れが無くなったわけではないし、他人の目を気にせず洋服を選ぶことが出来るかと言われれば、全くです。これからも変わらず傷が隠れるデザインを探します。

それでも憂鬱な気持ちになることは減るだろうなって期待しています。
今までどんなに好きな人に手術跡を褒めてもらっても、頑なに嫌い続けた頑固さがあるので、ひっくり返せば、自分が納得できていれば、この先誰かに意地悪なことを言われても、簡単には揺れないんじゃないかな、なんて。


私はいま、こんな気持ちです。





私が手術の傷跡に悩んでいた時、他の人はこれとどう付き合っているのか知りたくて、インターネットで当事者のHPやブログを探しては読み漁っていました。そしてそのほとんどは「傷は気にならない」「誇らしく思っている」というような堂々としたものばかりでした。自分のことを発信しているわけですから、自分をわざわざ否定するようなことを書かないのは当然だと思います。その結果、若かりし頃の私は「こんなにネガティブに捉えているのは自分だけなのかな」「私がおかしいのかな」という気持ちになってますます悩むことになりました。
でも、どこかに必ずいると思うんです。自分の身体の一部なのに、どうしても認められなくて苦しんでいる子が。だから私は、陰鬱だった感情もきちんと残そうと思いました。ネガティブな言葉って書くのも読むのも気持ちのいいものではないけど、そういう感情を持っていることも自然なことだから。苦しむ原因は様々だけど、貴方だけではないから。と、言いたくて。

だから大丈夫。
「私はあなたとは違うから」「貴方はわたしとは違うから」なんて当たり前のことで不安になって、わざわざ他人を攻撃しなくても大丈夫だから。みんな自分の力で這い上がっていこうね。




結局5部作(笑)の長いお話になってしまいました。
読んでくださってありがとうございました。




おしまい。


※途中の手術に至る過程(感情面や検査内容等)は詳しくこれまでの記事に書いてあるので、興味のある方はそちらもどうぞ。

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