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★病気と手術の傷跡について⓷劣等感が嫌悪感に変わった話

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前回までの★病気と手術の傷跡について⓶の続きです。中学生になったとこから。
今回かなり楽しいお話ではないので★マークです。マークの説明はお手数ですがこのブログの手引きを見てください。
ここからは何度も繰り返すけど、私の個人のエピソードです。先天性の疾患を持った子がみんなこんな経験をしてるとは思わないし、「私はそんなことなかった」ならなによりだし、あなたの大切なお子様がこんな感情になるかもしれないなんて警鐘を鳴らしたいわけでもない。
個人の暴露療法的記録。

読んでくださるのであれば大感謝です。



_____ここから本文


熱を出すことも減り、喘息の発作もほとんど起きなくなりました。中学校が家の近くだったこともあって、自分で歩いて登下校出来たし、体育も参加できるようになって、黙っていれば大きな手術をしたことなんて誰にも気付かれないようになりました。

中学校の制服はセーラー服(胸当て無いデザイン)だったので、胸元が開いており傷が見えてしまいます。※画像が胸当て部分ね

小学生の頃と違って、知らない子が一気に増えた(マンモス校だった)ので、説明も面倒になってます。日常生活の制限が減ったことで、事前に知らせておくのは担任の先生くらいでした。
胸元の傷を見た子に「心臓の手術をした傷」だと答えたとき、どこでどんな知識を得たのか(それとも得てなさすぎるのか知らないけど)極々一部ではありましたが、如実に顔を引きつらせたり、大袈裟なくらい可哀そがる子もいました。
それでもリアクションしてくれた子には何か言わなきゃいけない気がして「驚かせてごめんね」とか「心配してくれてありがと」とか返してみましたが、思ってもないことを言うくだらなさ。これでもなかなか楽しく生きているのに、勝手に可哀そうな子の枠に入れられるのは本意ではありません。もっと小さかった頃みたいに「ふーんそうなんだ」で充分なのに。それに、もしかしたらこれが弱点だと思って意地悪してくる奴がいるかもしれない。
私は傷が剥き出しになることより、首の詰まったインナーが見える野暮ったさを選びました。
(自作で胸当て部つけるという発想無かった)


体力がついたことで、友達と出かける時間が増えます。
突然世界がぐんと広がりました。
オシャレに興味を持ち始めると、さらに傷が邪魔と思うようになります。
最後の手術から何年も経って、色は周りの皮膚と変わらなくなってどんなに薄くなっても、やっぱり傷は傷。皮膚が薄いので、例えばキャミソールの胸元に刺繍とかビジュー(キラキラした作り物の宝石みたいなやつ)のような飾りがあると傷に触れて痛いとか、ワイヤーの入った下着は痛くて着けられないとか、見た目以外に意識せざるを得ない事情も出てきます。
※成人してから分かりましたが、私は特に胸部の皮膚か骨に(理解が雑)弱い部分があるので痛みが残ってしまったらしく、同じように外科手術の傷があってもあまり痛みなく下着や洋服を着られる方も多いみたいです。

大小の差はあれど、思春期の女の子には、自分の容姿に興味劣等感を持ち始める時期が必ずあるのではないかなと思います。そこからお化粧を覚えていったり、ダイエットをしてみたり。
もっと目が大きくなりたいなとか、あのモデルさん脚が細くてきれいだなとか、それらと同じ延長線上に「みんな、胸に傷が無くていいな」という感情が私の中に芽生えてきました。周りの大人たちは「綺麗に治ってきたね」と言いますが、薄くはなっても完全に消えたわけではありません。と言うよりも、私は、本当に傷が治るものだと思っていたので、どうやらそうではないことに気付いた時、自分でも思った以上にショックを受けました。

体育が解禁されても毎日薬を飲まなくてよくなっても、入りたい部活動も、やってみたい習い事も、全てドクターストップがかかりました。(よりによって運動部の中でも激しいものにばかり入りたがったから)
それは小さい時から慣れていたことですが、その時すんなり我慢できたのは「今は病気だから出来ないことが多いけど、それはまだ小さいからで、もっと大きくなって元気になったら出来るようになるんだ。だから今はいい子にして(言うことを聞いて)元気にならないと!」という思いで自分を納得させていたからです。
大きくなっても、治ったわけじゃないのか。このまま大人になってもお医者さんがダメだと言うことは出来ないままなのか。ということが分かったときに、自分を支えていたものが急に見えなくなってしまって、どうやって納得したらいいのか分からなくなります。

医者に文句を言ってもどうにもならないし、当然親が悪いわけではない。
これは仕方のないことで、だけど当時は仕方ないでは納得できません。自分だってきちんと言いつけを守っていい子でここまで大きくなったのに。
「こんな身体じゃなければよかった」
「この病気さえなければよかったのに」

という思いを初めてしっかりと自覚した時に、「あんな身体の子なんか…」と言っていた祖母は正しかったなと思ってしまいます。
負の感情に飲み込まれました。(ご安心ください。将来的には抜け出せます。)


私だって、こんな病気の私なんか欲しくなかったよ。


悔しくて悔しくて、誰にも言えないフラストレーションを全部自分自身に向けるようになります。





最終的にはその全部が、胸の傷1点に集中しました。
傷が無くなったからって私の心臓が治るわけではないけど、『この傷さえなければ』という気持ちに固執していれば、何とか張りつめていることが出来ました。
怒りでも恨みでもなんでもいいから、『いつかきっと治る』に変わるくらい強烈な、何か軸になる感情が欲しかったんだと思います。
それ以降、自分の手術の傷を見たくない、直視できない状態で10年以上過ごすことになります。
(実家を出てから浴室に鏡の無い部屋でしか暮らしたことがありません)

大人びた子たちが、アイプチやエクステに手を出したり、プチ整形などを調べ始めたりする姿に感化され、コンプレックスはお金をかけたり医療の力を使ったりすることで治せるのかと思い、興味を持ち始めます。
この傷をずっと褒めてくれていた母には何だか申し訳なくて相談できず、自分の携帯電話を持たせてもらうようになってからは、整形外科や皮膚移植のサイトばかり検索していました。どうにかこれが消せる方法は無いのか。
当時の検索結果では、皮膚移植しても移植部位が大きすぎて完全には消せなかったり(移植跡が残ってしまうのでは同じことだから無意味)、長い入院が必要だったりと、気軽に出来るものでないことだけが分かり途方に暮れていました。何より、またメスを入れるなんてやっぱり嫌だった。

楽しいことをどんどん知っていくのと比例して、自分の出来ないこともどんどん分かっていった時期でした。陰に鬱に悩み倒したピーク。
この先、開き直ってはちゃめちゃな生活を送ります。

つづく。

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