と、太宰治が言ったとか、言ってないとか。知らんけど。
別に太宰に心酔しているわけではなくて、本当にそう思っていました。
小さいとき、身体が弱い私はほんとによく熱を出しました。
小児喘息も持っていたから、とにかくもぅめちゃくちゃしんどかった。
そんな時母は、真夜中になると私を抱きしめて「元気な体に産んであげられなくてごめんね」と、少し泣く。
お母さんに抱っこしてもらうのは大好きだったけど、それはとても嫌いな時間でした。
私がしょっちゅう熱を出すのが、お母さんのせいでないことは、当時の私にだってわかっていました。
だけど自分のせいでもない。はず。
祖母は私の前ではとても優しいおばあちゃんでいてくれたけど、病気の孫をずっと二人きりで看病するのもいい加減疲れていたんだと思う。
仕事から帰った母が「あんな身体の弱い子産んで…」と祖母にくどくど叱られていた声は何度も聞きました。
(祖母は、母の母だから、嫁と姑のアレではなかった)
身体が弱っているときは、心だって弱くなる。大人でもそうでしょ。
ちょっとずつ、私の中に劣等感のようなものが刻み込まれていきます。
おばあちゃんは、私が生まれて嬉しくなかったのかな。
お母さんが泣いているのは、私が元気じゃないのが悪いんだ。
お仕事を休まなきゃいけなくて、電話で何度も謝っている。私が熱を出したせいだ。
ごめんなさい。
元気じゃなくてごめんなさい。
いつか、家族から捨てられてしまうような気がしていた。いつか、手の掛かる私にうんざりしてしまうんじゃないか。
「そんなことない」って誰にも言われなかったのは
そんな風に考えていることを、おくびにも出さない小賢しさを既に持っていたから。
もっと子供らしく甘えたりぐずったりすればよかったのに。どうすればいいのか分からなかった。
とにかく、これ以上迷惑をかけたくなかった。
生まれてきただけで、迷惑だったんだから。
このあたりでもう、私のネガティブの鍋は溢れんばかり。
健康な身体になりたい。
だけど、それが無理なら
みんな私と同じ病気になればいいのに。と思っていました。
自分の病気について少しずつ理解できるようになると、もしかして自分は長く生きられないのかも。と思い始めます。
周りのおともだちと同じように大人になれないのか。おばあちゃんみたいになることは無いのか。それはとても寂しいことだったけど、半分くらい安心する気持ちもあった。
パーツが足りないままで生れてしまった自分は、周囲より劣った人間である。
迷惑な自分は、早くいなくならなきゃいけないと思っていたから。
鍋沸騰中。完全に吹きこぼれました。
どうやっていなくなれば、家族に迷惑が掛からないのかをずっと考えていた。
家族は本当に、大切に育ててくれました。
なのにそれが私には全てプレッシャーだった。
期待に応えられているだろうか。ほんとは元気な子が欲しかったに違いないのに。
『何も望まない。五体満足で元気に生まれてくれるだけでいいの』そんな言葉をよく耳にするけど『だけ』さえ満たせなかった私はきっと親不孝者なんだ。
誰にも言えなかった気持ちや、じっと飲み込んで我慢した言葉を、少しずつ鍋で煮込んで
自分で自分に、呪いのようなものをかけていました。
それは誰が悪いとかではなくて、堂々と、生きてもいいって、まず自分が自分を認めなきゃいけない、と大人になってやっと気付きました。
呪いっていうのはだいたい、その正体を突き止められたら、解けていく。
ずっと探し続けないと、呪いの正体にはたどり着けないし
ずっと探し続けていれば、呪いを解いてくれるヒントに出会えます。
煮詰まって、焦げ付いて鍋底にこびり付いてしまったネガティブを、少しずつ剥がしていってるところです。それは時々痛みも伴うんだけど、 思いもよらない誰かに、ふいにかけてもらった言葉で 案外ぽろっと剥がれたりもして。
もう今は、早くいなくならなきゃいけない、とは思ってないです。
もっと楽しいことが知りたいし、美味しいものも食べ足りない。
なんで自分がこんな辛い経験しなきゃいけないのか。その理由が無いなら、その分みんなより得したってバチ当たんないんじゃないかな、なんて。
歳を取ると人間、がめつくなると言いますね。
悪いことじゃないと思う。
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