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☆ふたつの心臓弁の手術

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2019年、11月21日、人生で3度目の心臓手術を受けました。

過去の記事と重複する説明もありますが、記録も兼ねて少し詳しく書きたいと思います。

まずはおさらい。
私の心臓は、生まれたときに小さな穴が開いていました。
それは「心内膜床欠損症」(不完全型)という名前が付きます。

心内膜床欠損症では心臓の4つの部屋を隔てる弁と壁が真ん中で十字にクロスしているところの異常があります。心房中隔と心室中隔のつなぎ目の欠損なので、房室中隔欠損とよばれたり、左右の心房と心室の間の弁である僧帽弁と三尖弁がくっついてひとつになっているので共通房室弁口とよばれることもあります。

http://www.ncvc.go.jp/hospital/


そのせいで心臓の内部では、血液の漏れと、僧帽弁が正しく動かずに血液の逆流が起きていました。心肥大もあったかな。5歳までに2回の手術(心臓の穴を塞ぐ手術と、僧帽弁の形成術)をしてもらいましたが、根治することは無く、命に影響しない軽度の「僧帽弁閉鎖不全症」という病気が残ったまま生活していました。
根治…病気が根本から完全に治ること。ちなみに私の心臓は生まれつきちょっと形状が普通と違うので根治することはありません。

そして話は現代へ
形成した僧帽弁が経年劣化したことによって動きが悪くなり、血液の逆流か増え慢性心不全を起こすようになったので、新しい弁に取り換える必要が出てきました。
さて手術決定!胸切って開いて悪いとこ切り取ってドーン!おしまい!
というわけではなくて、どんな手術をするのか、時期はいつ頃にするかなどを考えるため、丁寧に丁寧に検査を重ねていきます。先天性の疾患を持っている心臓は、通常のものと形が異なるため、様々な科の先生の意見を聞きながら診断する必要があります。(私の場合は、心臓血管外科、循環器内科、小児科でチームになってのカンファレンス。そして幼少期の手術をした病院からのデータの取り寄せなども必要でした)
そこで幼少期にはいじらなかった三尖弁の方も動きがあまりよくないことが分かり、この際まとめて治療しましょうということで、人生で3度目の心臓弁の手術を受けることになりました。


三尖弁はこれまで手を付けていないので、自分の心膜や細胞が使えるため弁形成でいくことが最初から決まっていましたが、私の執刀をしてくれることになった先生が、僧帽弁もどうにか形成し直すことが出来ないかを考えてくれました。
僧帽弁三尖弁の場合、人工弁を入れると、弁形成を行った場合に比べてどうしても心臓の機能が低下してしまうのだそうです。将来的にまた劣化して再手術が必要になったとしても、現段階での理想はもう一度形成し直せればベスト。ただ、開いて中の状態を確認するまでは形成出来るとも出来ないとも言えない状況なので
『まず形成術を試して、どうしても無理なら人工弁への置換術に切り替えます。2回分の手術を1度に行うようなものだから手術時間は長くなってしまうけど、ベストを尽くしたいので。』という提案がありました。これ以外の選択肢は、『可能性の低い形成術は諦めて最初から人工弁に置換すれば時短にはなるよ』というもの。
手術中、私は麻酔で眠っているだけなので関係ないし、時間は長くても構いません。
(と、思っていました。認識が甘かった。手術時間が長いということは、それだけ身体に負担がかかるので術後にものすごく影響することを私はその後思い知ります。)
少しでも形成できる可能性があるなら、先生の仰った方法で行ってください。と、同意書にサインをして手術に挑みました。


そもそも25年前の手術でも相当な工夫(言葉合ってるかな?)をして形成してくれたようで、使える心膜の余裕がほとんど無く、癒着も想像以上にあったり、心臓内部の必要ない部分に筋肉がついて弁の動きを妨げていたり、とにかくややこしかったそうです。これ以上の時間をかけたら身体そのものの限界がきてしまうというところまで粘った結果、やむを得ず人工弁にしたと執刀医が話してくれました。
結果的に私の僧帽弁【生体弁】になりました。
人工弁には、動物の細胞から作られた生体弁と、カーボン製の機械弁の2種類があります。
何が違うのか過去の記事でも軽く触れていますし、どうして生体弁を選択したのかはすごく長くなるので、改めて別で書きたいと思います。
形成した三尖弁はもちろん、置換した僧帽弁もうまくはまり、執刀医の言葉を借りると「心臓が本来の動き方を思い出したよう」に動くようになったのだそうです。

つまり、手術は成功です。


当事者や家族の方はご存じでしょうが、本当に大変なのは術後です

「手術は成功しました。もう安心してください。」
先生にっこり。家族涙。患者酸素マスクで穏やかな寝顔。そして幸せな結末。
こんなのはドラマや映画の中だけで
(たぶんね。)
なんだったら本人にとっては、ここからが始まり。だって今まで眠ってただけです。

21日の朝に自分の足で歩いて手術室に入ってから、ICUに入ったのは約18時間後
22日の午後には目を覚ましたそうですが、鎮静剤が投与されているため朦朧としており全く記憶はありません。呼びかけに反応して頷いたり表情が変わったりしたそうですが、私が覚えている術後最初にした会話(筆談)は、母の記録してくれていたメモを見る限りでは、手術から6日も経っていました。


つづく。

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