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★どちらにもなれない私

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これは、『妊娠』『出産』という内容について書いた記事です。
出産を望むかどうか」「妊娠に身体が耐えられるかどうか」というセンシティブな話なので、哀しい気持ちになってしまいそうな方は読むのを控えてください。
先天性心疾患をもつ人間が、全てこうだということでは一切ありません。いつも以上に強く言いたいのですが、これは私個人の状態や、感情を書いたものです。決して同じような境遇の人間がいたとしても、みんなが同じような感情であるとは思わないでください。

※タイトルに付いている★マークの説明はこちら





「結婚しないの?」
「子供はほしいと思う?」


と聞かれることが度々あります。まぁ、聞かれて当然だろうと言うお年頃ですから。
その都度私は、『うーん、ひとりで出来ることではないのでね』などと茶化しながら、のらりくらりとかわしてきました。

結婚したら、というよりも正確には
結婚したいと思えるような相手を見付けてしまったら、私は、子供が欲しいと思うだろう。
と、思っています。

だからその問題に触れないで済むようにずっと恋人を作らないんです。と言えば、この年齢で彼氏がいなくてもそれ以上詮索されないでしょうか(笑)


ごく稀に、結婚願望があって子供をもちたいと言う方が仲良くしませんかと近付いてきてくれることがあっても、私は子供が好きではないし、結婚する気もないと話しています。
嘘をつくのは良い気分ではないけど、本当の気持ちを話すより苦しくない。それが嘘なのか本当なのかもよく分からないし。


私は先天性心疾患を持って生れたので、自分に育児なんて出来るんだろうかという不安は割と若い時から持っていました。妊娠がどのような仕組みかはわからなくても、走ることを禁止されている私は、自分ではない小さな子供が走り回る姿を公園や商業施設などでしょっちゅう見ていて、困った顔で「こら走らないで!」と追いかける大人にはなれないと思っていました。
坂道や階段ではすぐ両親におぶってもらっていた自分は、大人になったからと言って都合よく今度は自分の子どもをおぶってあげる立場になんてなれないだろうし、重いものを持っちゃいけないと育てられた自分には、軽々と私を抱きかかえてくれる親や兄弟の身体の方がどうにかなってしまうんじゃないかと不安だった。(大人だから痛いとか苦しいとか言えなくて我慢しているのかと思っていました。)




20代の後半から、慢性心不全の進行で(幼少期に形成した心臓弁の劣化が原因)心臓が耐えられないので妊娠は絶対禁止と言われてきました。だけど、弁を置換すれば(その際に生体弁を選択すれば)妊娠が可能なくらい心機能は改善するよと言われ、昨年末に傷んだ僧帽弁を生体弁に置換する手術を終えました。

そんなに軽い手術ではないだろうと覚悟はしていたものの、それでも手術が体に及ぼした影響が相当大きくて驚きました。それは、関わってくれた医師達もそうで、手術前に散々調べても開いてみたら予想と異なることが沢山あった(予想以上に心臓は弱っていた)と言っていました。
だから、生体弁を選んだということは頭の片隅にありながらも、いやいやこれは死ななかっただけ御の字で、やっぱり妊娠なんて出来るはずがない(心臓が耐えられない)だろうと思ったんです。

ICUでもTVを見せてもらえたのですが、時期的に丁度ニュースでは児童虐待の話題が多くて、文字にするのもおぞましいくらいの事件でした。
子供を産めることが優れているとか、産めない・産まない人が劣っているとか、そういう考えとは全く違うけど「あんな人でも、子供を産めたのか。」と思いました。人間の体も機械のようになって、子供を育てられる知識や覚悟のある人にだけ、妊娠という機能を後付けできたらいいのに。運転免許のような資格制度になってもいい。私ならきっと合格できるはずだ。と、そんなファンタジックなことを薬と痛みで朦朧とする頭で考え続けていました。


手術の前に1年間かけて悩みに悩んで、「生体弁にすれば妊娠が出来るようになるかもしれない」ということが理由のひとつになったことは事実だけど
どうしても子どもを産みたいから。だけでこの手術をしたわけではありませんでした。
なので、もし妊娠が不可能だと言われても、何のために生体弁にしたの!それなら機械弁を選んだのに‼とは思いません。





術後半年経って、状態も大分落ち着いてきたところで、思い切って担当医に聞いてみました。
私が子供を望むかどうかはさておいて、正直、やっぱり妊娠や出産に自分の体が耐えられる気がしないのだけど、実際の所どうなんですか?

先生は、少し間を置いて、目を逸らしたので、あぁやっぱり厳しいんでしょうと思ったら

「妊娠や出産は、不可能ではないと思っているよ。これは本気で。」

この時の私の中には、嬉しい気持ちとがっかりした気持ちがちょうど半分ずつ
どうしてがっかりしたのかと言うと、どんなに迷いや未練があっても、お医者様がダメだと判断したことは絶対だから。そうやって、誰かのせいに出来れば、自分で選択することから逃げられると思ったから。

「ただ、徹底的に病院でサポートする必要があるから、勝手な妊娠(計画してない自然妊娠)では絶対に無理。街の産婦人科みたいなところじゃなくて、全部(体内全ての臓器)が見られる大学病院じゃないといけない。母体にもリスクがあるのはもちろんだけど、生まれてくる子にもリスクはある。一般的な女性に比べて健康な赤ちゃんが生まれる確率は下がると思っている。それでも、不可能ではないと本気で言えるよ。」

これはもう、おせっかいなおばちゃんなら十分「あんたそこまでせんでもええやん。諦めたら。」と言うレベルの話じゃないだろうかと思う。
もし心から妊娠を望むなら『ではそのために計画を立てます。よろしくお願いします。』と言えたかもしれません。
だけどそこでまだ『それじゃあ諦めます。いま独身だし。それより一人で生きていくために今後の働き方について相談させてください』というようなことも言えなかった。

私は、何も言えませんでした。



疾患が無くても様々な事情で、何年も不妊治療に取り組んでいる友人も居ます。
子供を授かるということには生物としてのタイムリミットがあって、どんな子供が生まれてくるかも分からない。
産んだら、育てないといけない。違う。産んだのであれば育てたい。
心臓疾患の症状が、個人個人で全く異なるように、何を選ぶべきかはひとりひとりで全く違う。




本当に子供が欲しいのだろうか。
それとも、みんなが選んでいる道を選択できないことが歯痒いだけなのか。


今の私には、子供がもてるなら死んでもいい。と思えるほどの、覚悟がない。
だけど、子供を残すことだけが人類の役割ではなくて、もっと別の幸せもある。と心の底から思えるような意思もない。
私は、まだ何も決めることが出来ないでいます。



今日は、ここまで。

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