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☆空白の2週間(抜管後~退室)

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前回の記事の注意と同様なので略。

ICUに入って10日後。
数日前の敗北事件から自責の念にかられていた私にも、ついに来ました。人工呼吸器抜管の儀。
やったぁぁあ!!!!
絶望の中で初めての歓喜の一大イベントです!
でもどうするんだろう。これはどれくらい喉の奥まで刺さっているんだろうか。鎮静剤入れる?そのままいく?痛いのか?痛くないのか?すぐ終わるのか?私はどうしたらいいのか?とかとか考えている間に着々と準備を進める主治医と看護師さん。「力抜いてくださーい」とか言われたような言われてないような。

ずるーーっと。まさに抜く。何か抜かれました。
と同時に、嗚咽とも違う呻き声とも違う聞いたことない獣の鳴き声みたいな音が自分の口から出て、そのまま脳みそ出るかと思うくらい咳込む。
いま私これ大丈夫な状態ですか?
「そうそう。しばらく咳が出るけどね、痰をしっかり出してくださいね。」と満足げな医師。
先生穏やかな顔してるな。大丈夫ということか。ティッシュに痰を出す。血。え?
「しばらく血が混ざるかもしれませんけどね、大丈夫です。しっかり痰を出してください。」
大丈夫ということで、結局その日は1日中重めの咳が出続け、血の混ざった痰を吐き続けました。
今更だけど、痛くはなかったです。

私は挿管期間が長かったので、抜管したその日は声が出ませんでした。
人工呼吸器の管が声帯を押し広げて刺さっているので、筋肉(声帯)が固まってしまって上手く動かせず発声できないのだそうです。(挿管によって神経がダメージを受けている場合は声帯不全として治療が必要なケースもあるけど)
2~3日して咳や痰が減ってくると、少しずつ声も出るようになり、筆談のスケッチブックが要らなくなりました。

自分の力で呼吸をするのがこんなにしんどいとは。吸うって疲れる。吐くのも疲れる。しかしあんなに外せ外せと懇願し続けた手前、いざ外してもらって「自力で呼吸するのしんどいです」とは言えず、じっと耐える。

抜管が終わって落ち着いたら、やっといろんなことが動き始めます。
歯科、口腔外科の診察
10日ぶりくらいに口が開けるわけですが、絶飲食だったにも関わらず免疫力の低下舌苔が発生していました。これは毎日のブラッシングと、体力の回復で自然に治ります。
挿管中、苦しくて何度も歯を食いしばってしまったから、折れたかな?と思うこともあったんですけど、歯は無事でした。やはり手術前の歯科検診大事
そのあと嚥下のリハビリ
声帯同様、喉の「飲み込む」という機能をしばらく使っていなかったので、ものが上手く飲み込めるかどうかを検査・指導してもらいます。これが上手くできないと誤嚥性肺炎につながる可能性があるので、ここは慎重に。お水やゼリーなどを食べて喉の筋肉の動きを見てもらいます。

水、うまい。いままで生きてきて口の中に入れたもので1番美味しかったかもしれない。
たぶんこの先、味覚や脳が美味しいって思うことがあっても、あの瞬間ほど全細胞が美味しいと感じるものにはこの先も出会わないような気がする。それくらいの感動でした。
(そしてこの感動は、飲水制限という名の地獄の始まりでもありますが、長くなるのでまた今度)
私は嚥下機能に問題がなかったので、次の日から食事が摂れるようになりました。ICUでご飯食べると思わなかった。食事が出来る頃にはICUを出るものだと思っていたから。ご飯が食べられる状態になってもまだここからは出られないんですねという悲しさを噛み締めました。お米も噛み締めました。

人工呼吸器が外れると、だいぶ体の可動域も広がります。
リハビリの先生(作業療法士)が来てくれて、立ち上がる練習をします。点滴やらその他の管はまだまだ繋がったままなので、電気のコードや点滴チューブを持つ係として看護師さんが2人必要で、なんだか大ごとです。
ベッドから離れて初めて自分が寝ているベッドの周りを見ることができました。生命を維持する為の機械だらけ。 枕元にはなんかモニターがいっぱいある。ほぼ全部私のバイタル。個人情報流れっぱなしやん。恥ずかしい。あと自分がさっきまで寝てたシーツが血だらけ。いつの何の血?なんか、聞いたのに、ふんわりはぐらかされました。いや教えてよ。笑
(離床中にテキパキとシーツは交換してくれた)



執刀医曰く、全身麻酔の手術後の患者は無重力空間から帰ってきた宇宙飛行士のような状態なのだそうです。そんな経験のある人はなかなか居ないと思うのでピンとこないかもしれませんが、まず立てない
筋力が低下してとか、眩暈がしてとか、それ以前に「立つ」が分かりませんでした。
平衡感覚が著しく弱っています。どこに力を入れたら身体が真っ直ぐになるのか分からなくて、リハビリの先生にしがみつくので精一杯。立つとか歩くとか今まで当たり前にやっていたから、当たり前すぎて何を意識すればいいのか思い出せない。ていうか視界高い。私いつもこんなに視界高かったのか。背が高かったんだなぁ。そんなことより今自分はちゃんと床を踏んでいるかも分からない。
筋肉は落ちて脚はひょろひょろ。これまでの当たり前がもう当たり前ではないことを思い知ります。身体が全てを忘れてしまったみたいで、すごくショックでした。

自分が生まれて初めて立った日のことなんか覚えているはずがなく、その先のリハビリは、ものに摑まって立つ→歩行器で身体を支えながら歩く→一人で歩く、という具合に進めていくので、もう一度赤ちゃんからやり直すような感覚でした。

食事が摂れるようになって消化器官も問題なく働き始めると、一気に点滴で入れる薬の数が減ります。栄養剤の投与が無くなると、ちゃんと胃が空腹を感じるようになる。不思議。

ICUに入って15日目、朝の回診でやっと一般病棟に上がることが決まりました。
ここから先は、さくさく進む。身体につないでるその他のいろいろが外されます。
PTSDの発作が起きないように安定剤を処方してもらって、ぼんやりしている間に処置をしてもらいます。 首の点滴手首の動脈に入ってる点滴を抜いてもらい、ついでに鼠径部の縫合部分の抜糸尿のカテーテル抜管。
そして腕に新しく静脈の点滴ルートを確保。 残るはお腹から出ているペーシングの管心電図がくっついてるだけ。随分身軽になりました。

午前中に処置を終えたら、13時にはもう病棟移動です。



荷物をまとめて、背後のモニター達を確認。
もう私のテータが映っていません。だって全部外したから!
だんだん人間ぽくなってきたな。
ウキウキで車椅子に乗って、看護師さん達に見送られ、ICUを退室しました。



1週間も経たずに、急変してまた戻ってくることになるんですけど。 

今日はここまで。

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