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★☆空白の2週間(呼吸器抜管前)

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※これはなかなかハードなケースです。
これから弁置換術を受ける方は不安に思うかもしれませんが、 心臓の手術を受けた後はみんながこんな経験をするというわけではございません。過度に心配しなくても大丈夫。
「これよりはましだ」と思うくらいでちょうどいいと思います。

術後目を覚ますと、ICUに居ます。
ICU(集中治療室)は、精密な医療機器が沢山あるので、携帯電話やスマートファンの使用が出来ません。病院によって「機内モードであれば持ち込みは可」というところもあるみたいですが、私がお世話になったところは持ち込みさえ厳禁でした。
面会も親族限定。親以外の周囲の人間からすれば、全く連絡がとれない空白の期間ということになります。

私は今回の手術の前、出来る限り心がダメージを受けないように、5歳の手術の記憶を掘り起こし頭の中で何度もシミュレーションをしていました。これくらい苦しいだろうとか、これくらい辛いだろうとか。身体は先生達が治してくれるけど、外科手術によって心が痛んでしまうこともよくあるから。

5歳当時は時代のせいか小児だったからなのか、面会はガラス越しで、親とも会話は電話のような機械を使っていましたが、今回手術した病院はマスクと手袋、使い捨て医療用エプロンを付ければ面会者はICU内で過ごすことが出来ました。
目が覚めたとき、傍に母親が居て、私はすごく安心したのですが、その時の私はまだ機械だらけで、母は触れるところがほとんどなくもどかしかったと後から聞きました。


身体のいろんな場所に点滴がつながってるとか、口になんかついてて話せないとか、なんだか身動きが取れないとか、知ってる。薬で朦朧としてるのも自分で分かる。
術後せん妄のことも勉強していたので、天井がずっと動いて見えるのなんて想定内。幻覚だろうが幻聴だろうが、どっからでもかかってこいという気持ち。

ですが、母と最初に(私の記憶上) した会話で、手術から6日も経っていることを知ってびっくりします。
え、6日?順調にいけばもうICUを出ているはずでは?
何が起こって、今の自分がどういう状態なのか、ゆっくりと教えてもらいました。
予想よりはるかに心臓が弱っていたこと、手術時間も長くなり身体への影響も大きいこと、それらを考慮して慎重に経過を診る必要があるから予定より長くICUに居なくてはいけないこと等を聞きました。
会話と言っても私には人工呼吸器がついているので声を出すことはできません。文字を書くことはできたので、スケッチブックとマジックを借りて、筆談でコミュニケーションをとっていました。
手術の翌日には目を覚ましていて、呼びかけに頷くなど反応もあったそうですが、鎮静剤がよく効いていたため一切記憶はありません。

意識がしっかりしてくると、私はまずかろうじて自由が利く自分の手の指、足の指が全部動かせることを確認しました。
長時間の人工心肺使用で、身体に麻痺が残る可能性もゼロではないと言われていたから。
うまく力が入らないけど、とりあえず動かせる。一安心。
あとは両親のことを認識できること、自分のことを覚えていること、文字が書けることなど、いま試せる色々なことをゆっくりと確認して「あぁ、戻ってこられたな」と感じていました。

母親のメモ曰く、ICUに入室した私の身体には
・人工呼吸器
・両手首や首に11個の点滴
・腹部にドレーン
(血抜きの管)
・外付けペースメーカー
・尿道カテーテル
・鼠径部に太い管
(心臓の働きを助けるやつらしい。名称不明)
が刺さっていて、刺さないタイプの器具
・心電図
・血圧計
(腕に巻かれていて自動で定期的に血圧を計る)
・足のマッサージ機
・体温計
(足に張り付けタイプ)

などがついていたそうです。術後そのままの姿でICUに運ばれたので、シーツも術衣も髪の毛も血だらけ。さすがの両親も軽くひくほど。
鼠径部の管は鎮静剤で眠っている間に抜管したので、気付いた時にはなんだかわからない縫合跡になっていて、何の機械をつないでいたのかは見てません。
足にマッサージ機がついてるのはなんで?と思うかもしれませんが、長期間の寝たきり状態になるので脚に血栓が出来ることを予防しています。(エコノミークラス症候群予防)
寝返りが出来るようになったり、ある程度自分の意志で動かせるようになると外してくれるけど、結構気持ちいいので今欲しい。笑

術後翌日は体温39℃、そこからずっと38℃~37℃を行ったり来たり。術後侵襲による発熱なので問題なかったのですが、体感としてはとにかく暑い。
ICUでは患者さんがほぼ術衣(浴衣みたいなペラペラのやつ)で過ごすので一般病棟より暖房が高めになっている、ということを差し引いても、暑い。私はアイスノンを3つ借りて、頭の下と両わきの下3点冷やし作戦に加えてサーキュレーターも置いてもらっていました。様子を見に来たドクターが「さぶっ!」とびっくりするくらいでも、ひたすらに暑かったです。
※侵襲とはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E8%A5%B


ややこしい機械が沢山くっついているし、私はPTSDがあってパニックの発作を起こす恐れがあったので、ICUではずっと身体拘束をされていました。
両腕を柔らかい布紐でベッドに固定される程度のもので(それ以外は医療機器が繋がってるからそもそも動かせない)、面会で親が傍にいる時だけ外してもらえました。少し意識がはっきりしてくると、外してもらえる時間も増えます。

とは言え拘束されているというのはやはり不便で、不安で、癇癪を起しそうになります。
あーだから暴れないように拘束してるんだった。覚えてる。身体拘束の同意書にサインしたのは自分。覚えてる。大丈夫。と、何度も頭の中で反復していました。パニックにならないように。
だけどパニックの発作を起こして暴れて、看護師さんたちに押さえつけられる夢をよく見ました。現実には暴れられる可動域なんてなかったのに。
目が覚めて看護師さんに「私暴れましたよね?」と聞くと、「え!全然!むしろ周り騒がしくなってごめんなさいね」と宥めてくれた。
どうやら別の患者さんがせん妄で暴れていた声を聞いて、そんな夢を見てしまっていたようでした。
※術後せん妄とはhttps://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/kango/jutsugosenmou.html

せん妄患者の叫び声も、緊急のアラームも、慣れっこになってしまうくらいよく聞きました。
そんな環境でも、看護師さんたちは優しくて、毎日笑顔で話しかけてくれて。それが何よりの救いでした。

人工呼吸器は、ドラマでよく見る酸素マスクのようなものと違って、自発呼吸が出来ない (もしくは心臓を休ませるために自発呼吸をさせない) 人間につけるので、声帯のもっと奥、喉の奥の方まで管が入っています。だんだん感覚がはっきりしてくると、それが分かってきます。
とにかく不快。喉の奥にずっと異物刺さってます感があって、でもえづくことが出来ない。頭がおかしくなりそうでした。

ICUに入って1週間以上。筆談で使っているスケッチブックに、つらいとか、いやだとかいう言葉を書くようになります。

1日に何度も採血をしていくつも点滴を取り換えて、きっと明日は良くなってると思いながらやり過ごすけど、一向に数値が良くならない。時間が酷くゆっくりに感じる。弁の置換は成功したはずなのに、こんなに長く人工呼吸器が外せないなんて普通じゃない。自発呼吸が出来てない自覚なんてないし、なんで外してもらえないんだろう。呼吸器のせいなのか定期的に痰を吸引してもらわなければいけない。それがとても苦しい。術後の鎮静剤の余韻もいよいよ醒めてきて日に日に身体のあらゆる箇所の痛みが感じられるようになってくる。筋肉痛と相まって痛くない場所が無くなってくる。限界でした。

ころしてください


とうとう書いてしまいました。
自分の力で呼吸も出来ない。沢山つながっているどれかのスイッチが切れたら生命が維持できないような状態で、意識だけがはっきりしていくのは苦痛でしかなかった。
悲しそうな呆れたような父の顔が見えて、ごめんなさいと思うより前に「いまスケッチブックを取り上げられたら意思表示の手段を失う」と思って急いで

それがむりなら、薬をふやしてねむらせて

と書くと
父は安心した顔になって「うん。そうしよう。看護師さんに言ってくる。」と席を立ちました。



負けた。
術後の辛さは覚悟していたはずなのに。何度もICUで過ごすシミュレーションをしたのに。この言葉が心に浮かぶことまでは想定内だったから自分の外には出さないようにしてた。こんなこと言ったって親が悲しむだけだと分かってるのに。あんなに考えて迷って手術するってやっと決めたのに。 せっかく手術したのに。 先生達のことも信頼してるのに。もっと生きたいのに。
その全部が、いまとにかく楽になりたいという気持ちに負けた。
完敗です。

だけど、言ってしまったもんは仕方ない。だってほんとに辛いんだもの。

それから本当に鎮静剤を入れてくれたのか、ずっと不満を書き続けていたのか、呼吸器が抜管されるまで2日くらい時間が空いてるんだけどあんまり覚えていません。

ただそのあとも何度か「ころして」と書いた記憶はあるのに、幸か不幸かペンのインクが切れて書けなかったので誰にも伝わりませんでした。

続く。

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