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学び学ばれ将来に続く

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子供の頃から大学病院で診てもらうことがほとんどだった私にとって、病院と言うのはこういうものだと思っていたのですが
検査の時に担当医の他に若い先生が居て、時には研修の学生さんが何人か居る時もあったりして、一度の診察で何人もの先生のお世話になることがあります。

これ大学病院ならでは、だそうですね。



入院の際に書く何枚もの同意書の中には、診療情報の利用についての項目もあって、ざっくり言うと
学生の研究(学習)のために、プライバシーは守ったうえでデータを利用したり、研修医が治療(検査)を見学したり、させてもらいますが宜しいか?
みたいなことを尋ねられている。
私は、私なんかで何か役に立つのならどうぞどうぞと言う気持ちで『はい』に丸をつけています。
実際私の心臓はそこまで珍しい病気ではないけれど、そもそも先天性の心臓構造がややこしいと聞くから、沢山の患者さんを診たことがある先生が増えるなら、どんどん協力したいんです。

普段の診察と少し雰囲気が違って、研修医さんが診察室にいる時の先生は、どちらかと言えばドクターではなくてティーチャーの先生の顔をしているような気がします。
私に対する説明も、普段より少し硬い。
担当医と研修医の会話は専門用語が沢山でよく分からないけど、先天性だから後天的に弁膜症になった人とどう違うかとか、本来の心臓と何が足りないかとかどこが人工的に作った部分かとか、そんなようなことをレントゲンやエコーの画像を見ながら話しています。
私は自分の心臓が手術の前と比べてどうなっているのか、という話しか理解していないので、先生達のそれを盗み聞きながらまだ「え?普通はここ繋がってるの?」「手術するまでここ無かったの?」と驚くことがあります。
若い先生達は、あまりリアクションしてはいけないと決まっているのか、失礼にあたると思っているのか、驚きを奥歯で噛み締めているようなときがあるけど、ベテランの執刀医が「どうなってるんだろこれ!」「えー全然分からないな」「あれ、小さい時ここもいじってるの?」とくるくると表情を変えて不思議なものを扱うように私の心臓を見ていた姿を教えてあげたい。
全然いいんですよ。わかんないってリアクションしても不安にならないから。

診察の時は「(心音に)こういう特徴があるの分かる?」と促され、若い先生が私に聴診器をあてたり
エコー検査は若い先生がやったあと、担当医が答え合わせをするようにもう一度画像を撮ったりしていて、つまり、普通に検査するより時間がかかります。

これらは、私はそんなに嫌いではない。というか、本当にそれが昔から当たり前のことだったから何とも思わないのです。
もちろん疲れてしまう時もあるけど、この人たちの中から将来すごい先生が生まれたらいいのになんて生意気なことを思いながら、ぼーっと終わるのを待っています。


「何回もすみません」とか「失礼します(〇〇させてもらいます)」なんて声を掛けてくれたら、私はいくらでも協力する。何度も言うけど、むしろ協力したい。
でも中には、担当医と専門的な会話ばっかりして、まるで私を教材のように無機的に触ろうとする方がごくまれに居て、そういう時私は意地悪なのでわざと話しかけたりします。

だいたいが、驚いたような、調子が狂ったような顔をします。

学生さんが何人か居る場合は特に現実味の無い態度の人が目についてしまって、こっちは実習でやってる教材の患者じゃねえんだよという気持ちが湧いてくる。 緊張しているだけなのかもしれないけど、やっぱり皮膚に触れたり距離が近いこともあるわけです。
病院はサービス業ではないので、必要以上に親切を求めるものではないとは思っているけど、せめて、こちらにも感情があるということだけは忘れないでほしいなあと思います。



大人になるにつれ、自分より若い研修医さんや看護師さんがどんどん増えてきました。もしかしたら病院という空間で過ごした時間は、私の方が長いかもしれないと思うこともあります。

だから私の方がすごいんだぞとか、私の方が知ってるんだぞなんて思ってしまうような、モンスター患者には絶対なってはいけないし、絶対になりたくない。


いつかの誰かに学んだ知識で自分が救われているように、私も未来の誰かのための一例としての教材になるのなら、誇らしい気さえする。
そんなようなことを考えたりする、長い梅雨のある日。でした。


おしまい。

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