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今よりよっぽど多様性を感じていた頃

世間話
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昨今、LGBTという言葉が知られるようになって、同時に多様性という言葉がよく使われるようになった気がします。



小児病棟には、いろんな子どもたちが居ました。もちろんみんなどこかに病気を持っています。
生まれたばかりの赤ちゃんや、もっとお姉さんも。(男女で部屋が分けられていたので、お兄さんとはほとんど交流がなかった)


長く入院していた時、私には特に仲良しの友達が二人いました。
眼鏡をかけているY君と、背の高いYちゃん
Y君はたぶんお母さん同士が仲良しでした。Yちゃんとはいつの間にか仲良くなっていました。


Y君は同い年くらいで、どこの病気か覚えていないけど、ベッドにいるときは時々鼻に酸素のチューブがついていました。アニメのタートルズが大好きで、グッズも沢山持っていました。しばらくすると、週に何時間か会えない時間ができて、体中の血を入れ替えると言っていたので透析をしていたんだと思います。
Yちゃんは、私たちより少しお姉さんで、髪の毛が産毛みたいでいつも帽子を被っていて、胸に着けているポータブル(という表現で正しいかな)の点滴をこっそり見せてくれたことがあります。静脈から入れる抗がん剤の点滴でした。 点滴棒が必要なく、心臓が悪いわけではなかったから走ることが出来たので本当に羨ましかった。 (大人が誰も見ていない廊下でこっそり走ったことがあります)

大人たちは、女の子2人でY君を取り合って三角関係だとか茶化して楽しんでいたけど、そんな淡いことはなく、性別はあまり意識しない関係でした。


大部屋は循環器系の病気の子たちで集められていたけど、廊下では車椅子の子や、酸素ボンベと一緒に活動する子、ベッドのまま移動する子や、点滴もカニューレも何もいらない、やんちゃでどこが病気だか分からない子、様々な子たちを見ました。
それが当たり前の環境だったから、不幸だなんて感じなかったし、意地悪なことをする子もされる子も居なかった。
敵は痛いことする大人(小児科医)だけでした。



大人になって『多様性』という言葉を聞くようになって、私は時々、あの小児病棟で過ごしていた時間のことを思い出します。
退院して社会に出て様々な経験をするなかで、私は持病を隠して生活することを選びました。その方が何をするのもスムーズだったから。そのままスムーズに、多様性を認められない世界のほうに染まりました。

私は自分の体のことも、正確に理解しようとしたのは手術が決まってからで、手術の必要が無ければ、もしかしたら今でもなんとなく持病を隠しながら生活していたかもしれないけど
世の中にはそもそもそんな人たち(障害をもって生活する人たち)がいることさえ知らない人が、大袈裟じゃなく結構います。
マイノリティとは言え、障害・疾患を持って生活する人という括りにしたら、そこそこの人数はいるはずなのに。私の周りに偶然多かったわけじゃなく、貴方の周りに偶然いなかったわけでもなく、あるのは障害の重さの差くらいで、必ず存在しているはずなのに。

知らないから見て見ぬふりするとか、初めて見るからこわいとか、自分の周りにはいないからおかしいとか、そういう感情がどんな人の中にもきっとあって、もちろん私の中にもあります。

多様性を認めるってことは「みんなリンゴが食べられるようになりましょう」ってことではないと思うんです。
リンゴが好きな人もいるし、リンゴが嫌いな人もいる。嗜好の面だけじゃなくて、リンゴアレルギーの人もいるってことを知る・認める。ということだと思うんです。
そして、もちろん受け入れるに越したことは無いんだけど、私も受け入れられないものは沢山あるし、みんなそんな立派な人間じゃないんだから無理はしなくていいと思います。


ただ、存在していないことにはしないでほしい。私自身も、もっとちゃんといろんなことを見たい。知りたい。
大袈裟に存在を主張するとか、過保護に扱うわけでもなく、居ることがもっと当たり前になってほしい。



病院の外には、自分が想像しているよりもはるかに沢山の人が生活していました。
いまは自分の足でどこにでも行けて、何でも食べられて、誰にだって会えるのに。もう入院していた頃のことなんて忘れてしまうかと思ったのに。 決して病棟に戻りたいわけではないけど、外の世界の方がよっぽど窮屈だと感じることが、時々あります。



私にはきっと、そんなに大きなことはできないけど、これから外の世界を知っていく子どもたちにとって、良い環境であるためになにが出来るか。
考え続けたい。
自分が楽になるためにも。


あの頃仲良くしてくれた子たちは、いまどんな世界で、どんな大人になっているんだろう。




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